天気予報の恋人 涼介×拓海
君の愛は信じている 天気予報くらいにね
"またね"と手を振る君 ミラーで見る僕
愛しすぎて勝てないよ 心が夕焼けてゆく
何にも見えなくなって 君の思い通り
「すまない…」
これで6回目。相手が目の前にいないというのに、涼介の頭は自然と下がる。
『仕方ないです』
小さな吐息の後は、いつもの苦笑混じりのような口調で。
「本当に、すまない。必ず埋め合わせはするから」
この言葉も6回目。流石に信憑性がないと、自分でも思いながら、それでも謝って、新しい約束をしようとした。
すると、電話の向こうから拓海がその言葉を遮る。
『もういいです』
「拓海?」
『来週のDの打ち合わせの時に、オレのシフト表を渡しますから。予定が変わればメル打ちます。だから、涼介さんの都合の良いときに会いに来てください』
「拓海?」
あっさりとした言葉に、涼介は慌てる。
『守れない約束なら、して欲しくないですよ、涼介さん』
「……悪かった、だが、決してお前を軽んじている訳でも、おざなりにしている訳でもないんだ」
必死で言い募る涼介に、『解っています』とこれまたあっさりと答えが返ってくる。
『涼介さんが、オレに会いたいと思ってくれるから、約束してくれることも、守ろうとしてくれていることも、ちゃんと解っています』
拓海の台詞に安堵しかけた涼介だが『でも、約束されるとやっぱり期待するんですよ。期待する分、駄目になると寂しい』と続いたのに、また頭が下がった。
『約束の日まで、楽しみというより、今度は大丈夫かと不安になるのもいい加減疲れますし。なので、約束はしなくて良いです。約束無しで、突然涼介さんが会いに来てくれたら、純粋に喜べますから』
「拓海…」
『そうそう、絶対無理しないでくださいね。三日貫徹で会いに来たら怒りますよ。その時は、ちゃんと睡眠とってくださいね。大学の方頑張ってください。それじゃ来週、赤城で』
プツリと切れた携帯を見つめて、涼介はきびすを返すと、研究室から出ようとした。
「何処へ行く!高橋!」
「私用で3時間ほど出かける!」
「待て!」
部屋を出ていこうとする涼介の腕を、グループのメンバー5人が必死で捕まえる。
グループの男は皆、大学に二日泊まり込みで、それでも期日に間に合うか微妙なラインだというのに、ここでグループ一番の戦力を失ってたまるかとばかりに、必死の形相だ。
「離せ!」
「行かせるか!」
「お前ら…半年かけて、口説きに口説いて手にした恋人に振られたら、どうやって責任とってくれるんだ!」
「そっちこそ、俺達が単位を落としたらどうしてくれる!」
「そんなもの、自分でどうにかしろ!」
必死で縋る学友を振りきって、涼介が部屋から出ていく。
本気で慌てて出ていく高橋涼介を、その場に居合わせた他メンバーは呆気にとられた顔で見送り、残されたグループの連中は半分泣きが入っている。
「高橋って彼女いたのか?何処の女だよ」
「なんか、相手は働いてるっぽいことをちらっと聞いたような」
「それじゃ年上?」
「だろ。あいつが、口説きに口説いたっていうんだから、かなりのキャリアじゃねぇか?」
「だよな、普通の女子大生なら、あいつが拝み倒す必要ないだろうし」
いつのまにか、涼介の相手の話で盛り上がっている、研究室の居残り組だった。
「頼む、拓海。言い訳の一つぐらい聞いてくれ」
明るい午後の陽射しが差し込む土曜日。
高橋家のリビングでは珍しく家族4人が揃っている。
そして、電話を掛けている長男が「俺が悪かった」と謝っている姿に、高橋夫妻は驚愕の表情でコーヒーを飲んでいる。
未だ嘗て、この唯我独尊の長男が、平謝りしている光景など初めて見る。
「あの子が、『俺が悪かった』なんて…」
「まさか、あんな台詞を口にする涼介を見る日が来るとは…」
母親達の台詞を聞きながら、啓介は雑誌を捲りながらコーヒーを飲んでいる。
「相手は誰なんだ?」
「半年かけて、口説きに口説いてようやくOKもらった5歳年下の恋人」
「それは凄い…」
あの涼介を平謝りさせるとは。
「そいつ、高校出て働いているんだけどさ、大学ではいつのまにかアニキが8歳年上の女実業家と付き合っていることになってるんだよ」
いつのまにか、大学での噂は涼介の恋人の事細かい略歴から、馴れ初めまで話ができあがっていた。
「その噂を聞いた相手から、自然消滅狙うぐらいなら、ちゃんと別れたいって言ってくれ、それぐらいは礼儀だろうって言われて、説明して謝っている所」
平然とした啓介の口調で語られる事情に、両親は複雑な顔になる。
「ついでに言えば、7回目のデートのキャンセルも重なっているんだよな、これが」
「それは…」
「だけど、医者相手なら、ドタキャンは覚悟してもらわないと」
今は学生だが、現場に出るようになったら、ベル一つで呼び出される身分だ。
その程度の覚悟がなければ、とても医者とは付き合えない。
「違う違う」
両親に向かって、啓介が手を振る。
「その点に関しては、めちゃめちゃ理解あんの。あいつの家、父子家庭で自営業だから、好き勝手に休めないってのは当たり前らしくてさ。ドタキャンに関しては、全然怒らない。それどころか、無理して会いに来るぐらいなら、睡眠とってくれって心配するような奴」
それはなんとも、理解のある相手だ。
普通、医者の恋愛・結婚が破綻する理由は、家庭を顧みないところにあるのだから。
だが、段々と啓介が不機嫌になっていく。
そして、とうとう、背中越しに涼介に向かって怒鳴った。
「いい加減、代われよな!俺だって拓海と話したいんだぜ!」
嫌そうな顔をした涼介だが、渋々啓介に受話器を渡す。
「拓海♪」
嬉しそうに名を呼ぶ啓介の様子に、また高橋夫妻は呆気に取られる。
「なあ拓海。もう、アニキはやめて、俺一人に絞らねぇ?」
嬉々として、話す啓介の様子に、父親は涼介の苦虫をかみ潰したような顔を見つめる。
「涼介…電話の相手はお前の恋人じゃないのか?」
「そうですよ」
「だったら…」
「啓介より3歳年下の恋人でもあるんです」
「お前達…」
呆気にとられる両親に対して、涼介はひたすら啓介を睨んでいる。
「お互いに譲れなくて、とにかく拝み倒して、両方選んでもらったんですよ」
「それで良いのか、お前達」
「自分が選ばれないぐらいなら、選ばなくて良いと思いました」
はっきりと断言する涼介に、両親は言葉を失う。
「拓海?」
電話越しに、思わず慌てる啓介の態度。
『良いですか?単位落としたら秋名に通うのは差し止めですからね』
「ちょっと待て、拓海!」
『前期試験、頑張ってくださいね』
拓海は明るくそう言って、電話が切れた。
思わず、啓介は受話器を見つめる。
「アニキがドタキャンするから、俺までデート出来ないだろ!」
兄弟二人揃わないと、拓海はデートをしてくれない。片方だけだと、却下を食らう。特に、今は涼介が会えないので、啓介ばかりと会うわけには行かないからと、OKがもらえないのだ。
「好きでキャンセルしてる訳じゃないぞ。お前と違って、俺は秋名詣を禁止されてるから、マジでDでしか会ってないというのに!」
早朝、ここに来る暇があるなら寝てくれと言われて、涼介は啓介のように朝会いに行くことが出来ない。
だからこそ、決して好きでデートをキャンセルしてる訳ではない。
低次元の言い争いをしている兄弟を、両親はただ呆然と見つめる。
ここまで、この二人を変えた相手に是非会ってみたいものだ…
睨み合っていた二人だが、ほぼ同時に溜息をついた。
「アニキ、ノート貸して」
「ああ。お前も今夜中に片づけろ。明日は絶対に朝から会いに行くからな」
レポート3本、一日で仕上げて会いに行くという涼介に、啓介は頷いた。
アイスコーヒーのペットボトルをそれぞれ冷蔵庫から出して、二人は二階の私室に向かう。
その二人を見送って、高橋夫妻は顔を見合わせた。
「どちらのお嫁さんに来てもらいましょう?」
「涼介は卒業したら最後、向こう十年は暇がないぞ」
流石に十年も放って置いたら、あちらの親御さんが心配するだろう。それに、下手に教授の娘やら縁戚の見合い話を持ってこられたら、いろいろと拙いだろうし。
「そうですわねぇ。でも、あの我が儘な啓介の手綱を取れる方も、そうはいないと思うんですけど」
なんせ、大学を出たらプロのレーサーになると言明した息子だ。
そんな二十歳を過ぎて夢を喰ってる男の所に嫁に来るような、剛毅な娘が今時そうそういるとは思えない。
まして、安定した収入を望めない上、命の危険すらついてまわる仕事だ。
それでも良いと、笑って夫の背中を見送れる女は少ないだろう。
「…取りあえず、卒業までに涼介がプロポーズして、OKが出たら涼介の嫁、出来なかったら啓介の嫁、というのでどうだろう?」
「そうですわね。だったら、暇を見つけて今の内に招待客のリストを作っておきましょうか。一応、2月に結納、3月に結婚というあたりを目安にして」
「だな、卒業してからだと、どの教授を呼ぶか、席順をどうするかで揉めるだろうから、涼介が決めるとしたら卒業前だろう」
いつの間にやら当人達を抜きにして、結納から結婚式、披露宴までの算段をつけた高橋夫妻は、ようやく冷めたコーヒーを飲み干した。
そして、紹介された相手が男だと解って、一波乱が起こるのはこれから約2ヶ月後の日曜日になるが、今は可愛らしい義理の娘に会えるのを楽しみにしている両親であった。
携帯をポケットに直すと、拓海は目の前の二人にニコッと笑った。
「すみません、真子さん、沙雪さん」
「どういたしまして」
カラリとアイスコーヒーの氷をストローでかき混ぜて、沙雪が笑う。
「でも、良いの?」
心配そうな真子に、拓海はコクリと頷く。
「啓介さん、二年の時に必修科目を落として、再履修してるんですよ。これで落としたら、マジで留年ですもん。涼介さんにしても、会いに来てくれるのは確かに嬉しいですけど、三日貫徹のボロボロで来られたら、嬉しいより心配です」
約束しよう、約束を守ろうとするその態度は嬉しいが、そのせいで無理をするのが解るから、そういう意味では嬉しくない。
自分より年上のくせに、まったく世話が焼けると拓海が苦笑する。
そんな拓海の態度に、碓氷の二人は笑う。
まったく、高橋兄弟も形無しだ。
「まあ、知り合いに医者と結婚した子いるけど、ほとんど母子家庭だよ。旦那は帰ってこないし、自分の子供が熱だしても、側にいないんだから」
「一週間で5時間会話が出来たって喜んでたもん、新婚なのに」
今もいい加減ハードだが、病院に勤務するようになったらもっとハードだ。それを覚悟で付き合わないと。
命を預かる以上、精一杯やったと胸を張って言えなければ、患者の死に耐えきれるものじゃない。だから、医者である涼介を好きなら、この点だけは我が儘を言うなと、沙雪と真子は拓海に忠告した。
そして、それに拓海は頷いた。自分も母親を亡くしている。
涼介が、患者に対して、親身になる医者で居て欲しいから、彼の忙しさを責める気は毛頭ない。
「大丈夫ですよ。オレ、半年や一年会えないぐらいで、愛想つかしたりしませんから」
明るく笑ってそう言う拓海に、そこまではどうかと思うと碓氷の二人は顔を引きつらせる。
「会えないから嫌なんて、そんな半端な気持ちで同性二人を好きになったりしませんよ。オレ、二人に幸せにして欲しくて、好きになったわけじゃありませんもん。オレが好きだから、涼介さんと啓介さんのことを考えると幸せなんです」
明るい夏の陽射しがよく似合う、拓海の満面の笑みに、思わず真子と沙雪は高橋兄弟に嫉妬と同情を覚える。
こんな風に思われて、羨ましいと思う反面、これは恋愛と呼ぶのだろうかと。
変に遊び慣れている兄弟と、恋愛擦れしていない拓海では、このまま平行線を辿るような気もするが…
まあ、駄目になるかもしれないと解っていても、涼介の約束に合わせて会社の休みを取るあたり、まだしばらくは愛想を尽かされまい。
「それじゃ、私達とデートしましょうか」
「今日は、拓海君の愚痴にいくらでも付き合うから」
「そうですね。今夜は久しぶりに碓氷峠走っても良いですか?」
「もちろんよ」
オーダーシートを手にして、3人は席を立つ。
必死で机に向かってレポートを片づけている兄弟に比べて、なんとも優雅な休日を満喫している3人だった。
そして、翌朝、兄弟は拓海の家に出向いたが、二人揃って寝不足の顔に拓海から叱られたとか。
だが、その晩は、拓海お手製の鳥雑炊を頬張り、久しぶりに三人で恋人の時間がもてたらしい。
とにもかくにも、自分達が幸せになるためなら努力を惜しまない涼介と啓介は、腕の中の拓海の笑顔に、ようやく安堵の溜息をもらした。
今一つ恋人としての実感を持たせてくれない拓海に振り回されているが、それでもやはり、手放すことなど思いもよらない。
お前が余所見出来ないぐらい、今よりもずっとイイ男になるから、これからもずっと俺達のことを見ていてくれと、拓海の頬に両側からキスをする。
くすぐったそうに首を竦めて「これ以上格好良くなって、どうする気ですか」と拓海が微笑った。
思っているだけで伝わるなんて、そんなの嘘だ。拓海が飽きると言う程、繰り返して言ってもまだ足りない。
この腕に抱いて確かめて、何度でも囁いていないと、愛しさが溢れて行き場を失うよ。
拓海は耳元で囁かれる気障な台詞に苦笑しながら、そんな台詞が似合う二人にまた苦笑して。
「二人とも、大好きですよ」そう告げれば「愛してるとは言ってくれないの?」と瞳を覗き込まれて。
真っ赤な顔で二人の顔を見上げて、拓海は幾度か口を開いては閉じる。
そして、二人の視線から顔を隠すように俯くと、ボソリと小さな声で呟いた。
拓海の言葉に、兄弟は破顔して、嬉しそうに拓海の身体を改めて抱きしめる。
首筋や背骨を辿る二人の指先に、ゾワリと背中が泡だって、拓海は一層頬赤らめた。
明日は代休で『休み』だっけ…でも、それを今の、2ヶ月ぶりにこうやって会う二人に言って良いものかどうか…
涼介と啓介から与えられる性急なキスの深さに、いささか迷う拓海だった。
綺麗な人だと言われるたび 不安だよ
みんなさらったはずなのに
誰のための 君だろうと思う
ひとりじめ出来ても
どんな風に 君を閉じこめても
伝えたい言葉は 一つの繰り返し