下天酔夢 (信長×ケン)
信長の私室に呼ばれたのは、地味な身なりをした端正な男だった。
壮年の男は視線を床に落としたまま、平坦は声で報告をあげる。
「記憶喪失に偽りはないかと。そのせいかところどころ知識がすっぽ抜けております。…いささか食に偏ったところはございますが、学がないわけでもございません」
戦にしても、織田軍の長所短所をよく知っている。各地の主な大名の名前もそれなりに知っているようだが、つい数年前の領主や勢力が解からない。地名も知っている名と知らない名が混在する。岐阜近辺が解からぬくせに中国や四国の地名がわかったりする。ただ、記憶喪失のせいか、どうにも書物の上の知識のような、机上のことのように語ることがある。
文章は読めないようだが、意味が解からぬわけでもない。数理は理解しているのに単位にまごついたりする。
「誰か師についていたはずです。それもかなりの知識人・趣味人であり、裕福な家筋に」
「そうよな…しかし坊主ということはない…」
「はい。ケン殿は鳥や魚は無論、牛の乳まで調理いたします。いくら昨今は生臭坊主が珍しくないとはいえ、あれを寺で出すのはあり得ませぬでしょうし」
「だな…かといって、武家筋に仕えていたにしては、人が良すぎる」
戦場の常識を知らなすぎる。そのくせ、兵糧の重要性は理解している。兵の疲れが取れるように、食がすすむようにと考えられたのがあの即席湯漬けだ。
理解できぬ単語を口にする反面、料理に対して真摯なことは伝わってくる。
「まあ、あれに間者は無理だ」
「御意」
食事に毒を盛るどころか、客を笑い者にするための料理すらあれには造れまい。
「で、ケンの畑はどうだ」
「はい、確実に収穫高が上がっております。農民達もケン殿のことは『言ってることはよくわからんが物知りな偉い先生』扱いで、やれと言われればとりあえずやってみる程度には態度がかわりつつありまする。ケン殿も見える形で収穫が増えれば、自然と広まるだろうと農民達の態度は気にせぬ様子にて」
「まったく…領主に向いているのやら、いないのやら」
パチリと音を立てて扇をたたみながら信長の口元に苦笑が浮かぶ。
褒章をやろうと銭を渡せば部下に配り、領地をやろうと言えば畑が欲しいと言う。
あれは名器を見せても値段よりも器に乗せる料理のことを考え、絹や玉より野菜の種や苗を喜ぶだろう。
この信長の料理頭という地位にも固執はすまい。役目を解くと言えば、その足で城を出て市井で庶民相手の食い物屋でも始めるに違いない。何とも腹立たしいことだが。
「まあ良いわ。あれの指図する畑の方法は書面にしたため、領内に配れ」
「承知いたしました。ですがよろしいので?」
普通ならば知識は独占するもので、広める物ではない。
「かまわん。あれは気にすまいよ」
逆に手ごろな値段で味の良い作物が出回れば、両手に野菜を抱えて喜ぶ顔が、簡単に想像がつく。
素性が解からぬことがいささか引っかかる。知れば知るほど不可解な点が増える。
だが、愚直なほど料理に向かうケンの姿勢は真っすぐだ。
彼にやった畑は所領と同意なのだと気がつくのはいつのことか。
「とりあえず、あれの好きにさせい」
「はい」
深々と頭を下げて信長の前から辞した男は、武功はさほどではないが目端の効く者だ。領地の経営は自分に不向きというケンに付けてやった。ケンを信頼していない訳ではないが、意に染まぬことでも敵に脅されて従わされることもある。素性の知れぬ者であるだけでなく、ケンは口にする物を取り扱う料理頭である以上、警戒をせぬわけにはいかない。
信長は自分がそういう立場にいることをよく理解していた。
襖の向こうから、穏やかなケンの声が信長に食事の用意が出来たと告げる。
襖が静かに開くと、軽く一礼をして膳を捧げ持つケンの姿が見える。
塗膳の上に載せられた皿には今日も今日とて色鮮やかな料理が盛り付けられている。
「宇治丸のテリーヌとカキのコキール、温野菜のサラダ、ゴマと芥子の実をまぶしたパオンでございます」
茹でた野菜には酸味のきいたタレがかかっている。パオンは楊枝などを使わず、そのまま手で千切って食すのだと言われ、濃姫も一緒に色々な味のパオンを楽しんでいる。
色鮮やかな層になっている宇治丸のテリーヌはいくつもの味が重なり合う。それに、ケンが調理する宇治丸は骨が綺麗に外されていて、身がほっこりと柔らかい。匙で掬って口に運ぶカキのコキールは最近よく料理に使われる牛の乳を入れたものらしい。家臣の中には「牛の乳?!」と顔を引きつらせる者もいるが、これはこれで風味があると信長は思う。ケンに言わせると牛の乳は栄養価が高く、かるしうむとやらが豊富で苛々に良いのだとか。嫌味や当て付けではなく、本気で言っている所が小憎らしい。
「鳥肉ときのこのシチュー、パイ包み焼きです。器が熱いので気をつけてください。蓋のパイ生地を崩しながらお召し上がりください」
器の蓋になっている生地を匙で突けばサクサクと崩れ、その下は白くてトロリとした汁物だ。器ごと熱したせいか、まだ熱く湯気が立ち上っている。
鶏肉ときのこは噛めば旨みが口に広がる。この汁物も牛の乳を使っているようだ。出汁は慣れた魚や昆布の物とは違う。何とも複雑でそのくせ風味がある。
「最後に口直しの冷菓、先日砂糖をいただきましたので、キャラメル味のアイスです」
口の中で溶けていく冷たい菓子。金平糖の華菓子もそうだったが、口にいれた瞬間に溶けていく儚さが、何ともいえぬ余韻になる。
「うむ。美味であった」
「ありがとうございます」
綺麗に平らげられた器を見て、ケンは安堵する。栄養バランスなど意識されることのない戦国時代。怒りっぽい信長だけに血圧も気になるが、なるべく炭水化物だけにならないように、また肉には野菜を付け合わせで出すように心掛けている。
それに信長が食すことで、牛の乳を織田軍の兵士にもなるべく取らせることができるのは有りがたい。
空になった器を見て眦を下げ、口元に柔らかな笑みを浮かべるケンの表情に、なんとなく天邪鬼な気分になるが、旨いと思ったのは事実なので、ついと視線を外す。
今までの料理人達は平伏しながら上目づかいに信長の様子を伺うのが常だった。
彼らは信長から好みに合わぬ、造り直せといわれずに済んだことにほっと安堵の表情を浮かべる。だが、ケンは信長の一挙手を見ている。一番先に箸をつけたのはどの料理か、その表情からどの料理が好みにあったのか。どんな味か見当もつかず、眉を寄せて口に運んだ料理。その信長の眉が開き、ほうと咀嚼する表情を見て、ケンは顔を綻ばせる。
それは己の料理の腕を誇るのではなく、ただただ旨いというその言葉に喜ぶ子供の笑顔にも似た柔らかな笑みだ。
実際、信長の旨いという言葉にも、行軍中にふるまった料理に対する足軽達の旨いという言葉にも、ケンは同じような笑顔を見せる。
いや、あの足利の阿呆が事の他気に入った照り焼き。未だにあれはケンの造る料理に執着している。つくづくあの阿呆に食わせるのは勿体なかった。
そういえば、食が細い市の娘の為に作ったという『お子様らんち』は、お濃も気に入ったとかで度々食しているとか。
なまじ料理の名前に『お子様』がついているせいで、儂にも作れとは言いにくく、結局どんなものを出したのか試食させろと作らせた1回しか食していない。
眉根あたりが険しくなった信長を見て、おやとケンは思う。信長は気分の移り変わりが激しく、何が切っ掛けで不機嫌になるか読みづらい。
実際、自分の命は信長の気分次第でどうとでもなる。それを恐ろしいと思う反面、目の前で呼吸している信長に魅せられているのも事実。
本で読んだときはその苛烈さ、焼き打ちや一向宗の皆殺しなど残虐性が印象に残っている。
だが、意外と身内に甘かったり、解かりにくいものの時折情の深さを感じる。そして、その瞳の強さにこの人が戦国時代を終わらせる切っ掛けになった武将なのだと、この人を知れば信奉者か敵かに分かれる程に強烈な輝きを放つ男なのだと実感する。
信長の寝所に酒肴を捧げ持って入る。
部屋の外には護衛の為の御側仕えの者が控えているが、多分他にも警護の者がいるのだろう。
本来、刃物を携えて信長の寝所に入る事は許されないが、ケンの場合小刀の所持が認められているのは信長の信頼ととることもできる。
「どうぞ。牛蒡をベーコン 燻製肉で巻いたものと、鳥のレバーの甘辛煮、マロン・グラッセです」
小皿にはそのまま食べられるように楊枝を刺したベーコン巻とマロン・グラッセが載せられている。
「燻製肉は風味が良く、汁物に入れて煮れば良い出汁の味がいたします。また燻すことで生肉に比べて日持ちが致します。鳥のレバーは貧血に良い食材です」
鳥だけでなく、牛や豚も食用として飼育を始めたケンだが、飼料が減る冬の前に、多少は潰した。そして、新作の料理として信長に出す。
鳥のレバー料理は濃姫や彼女の侍女衆の為に作ったのだが、信長にも出さないと機嫌が悪くなる。
気の短い信長には、丼物や大皿料理を、9点盛の前菜などいろいろな料理を少しずつ出すコース仕立ては味わって食する濃姫にと思うのだが、濃姫だけが食べて自分が食べていないというのは納得できないらしい。自分は食べたと妙なところで二人は張り合ったりする。
信長が差し出した朱塗の盃に、ケンは溜塗の銚子で最近献上された清酒を継いだ。天邪鬼な信長は高価な古酒よりも新酒を好み、従来の濁り酒ではなく新しい清酒を好む。
ケンの知る日本酒に比べて、まだ舌の上で荒さが残るが、ケンが作る料理にはこの清酒を用いている。
旨そうに盃を干す信長を見て、ケンは清酒を新たに継ぐ。
兵農を分離している織田軍では、戦をするのは農閑期に限定されないが、それでも冬は行軍も落ちるし兵糧のこともあって控える。
先祖伝来の土地を守ることが当たり前の時代にあって、信長は天下布武を掲げ、この国を統一しようとしている。
小国に割れて争っていては、疲弊するばかり。一刻も早くこの国を一つにまとめねば、海を渡ってきた外国に食われると信長は言う。
なぜ、それが解からぬと苛立つが、『この世界は丸い』ことを理解することすら難しいこの時代の人間にとって信長の思考や言葉は遠いのだろう。
飢えないことすら難しい、この時代の農民達。戦になれば戦場に駆り出され、田畑は踏み荒らされる。落ち武者を狩って、金品を得ることは、彼らにとって当たり前の副収入だろう。
明日を、理想を語れるのは飢え無い者。
だからこそ、ケンは戦を止めることが出来ないなら、信長が治める領地は腹いっぱい食べられる土地にしたいと思う。
「そういえばケン」
「はい」
「こたびそなたの禄高を増やすことにした」
「ありがたいことですが…」
「受け取れ、でなければ、下の者が受け取れぬ」
料理頭として、ケンは給金をもらっているが、城内で寝起きし、衣食住はほぼ無料。使用人がいるわけでもないので、自分がもらっている給金が多いのか少ないのかよく解からない。
「まったく、欲のない」
欲の深いものは、簡単に転ぶ。そういう意味では、ケンには買収はきかない。ただ、欲がない故に報いることが難しい。
「欲はございます。さしあたり、玉ねぎ、人参、トマト、ジャガイモの種か苗が欲しいです。あと可能ならば、アーモンド、オリーブ、林檎の木。バニラビーンズがあれば、菓子の風味がもっとよくなります。砂糖が手に入りましたので、カカオ豆が一袋あれば、今度はチョコレート菓子のトリュフでも作りましょう」
「ケン…一皿の菓子に大船何艘分を盛る気だ」
どうやって調理するのかも解からぬ小さな袋に入る一握りほどで、大船が買える値段がついたというのに。
ただ、法外な値段の豆であっても海の向こうには、自分が知らぬ物がまだ山とあるのだと気付かされた物だから、買い求めた。海の向こうにあるのは、桃源郷などではなく、人が生きる国があるのだと教えてくれたから。
「はい?手に入りにくいなら、こちらから買い付けに行けばよいのでは?何も貿易を堺衆に独占させておく必要もございませんでしょう。すぐさまスペインやポルトガルに行くのは無理でも、隣の明ならば今の造船技術でも行けるはずです」
「隣の明…」
フッと口元に笑みを浮かべた信長が、クツクツと笑いだす。
「明はまるで京に行くよりも近いと言いたげだな」
「天下統一がなり、戦が無くなれば、武士の活躍する場はなくなります。分け与える土地はなく、褒章を得る機会もなくなります。そのことを不満に思って内側から揉めるぐらいなら、戦ではなく貿易を求めて外に出るのも手の一つと思うのですが」
信長の死後、天下を統一したのは秀吉だが、彼が朝鮮に出兵したのは子供を無くして錯乱したというより、戦がなくなり不満が高まる武家のエネルギーを外に向ける必要があったからだ。
「天下統一がなった後か」
「はい」
天下統一の意味すらも、理解出来ぬ者がいるというのに、ケンはその先を語る。
国を守ると言えば聞こえが良いが、それは大名家乱立のまま、諸外国には対応できないと信長は考えていた。なぜ、この国の危うさが解からぬのかと、苛立ちが募る。
すでに仏は背を向けたまま衆生を救わず、神は神棚の上で埃をかぶっている。
忌々しい僧侶どもは信徒から喜捨の名目で財を巻き上げたうえ、自分では戦わずに信徒どもに戦わせる。
愚かな信徒どもも腹立たしい。仏は戦えなどとは言わない。仏を語るのは人の技。僧侶どもに都合のよい言葉だとなぜ気付かないのか。
ただ、ただ救済を求める人間も信長は嫌いだ。己の足で立ち、戦うことも出来ぬなら、他人に利用されて食われても仕方がないと、突き放している。
第六天魔王を名乗り、仏教界に敵対する信長の意図。仏を否定しているのでなく、本願寺を含めた仏の名を利用する勢力を否定しているのだと解かっているものがどれほどいるのか。
ある意味、信長は言葉が足りぬとケンは思う。だが、この時代に信長の言葉を理解出来る者は、目指す世界が見える者は、とても少ないのだ。
空いた盃にケンが清酒を注ぐ。記憶をなくしているせいか、身分の上下には疎く、作法を学んだとも思えないが、ケンの所作は見苦しいところがない。その手は水仕事で荒れているが、武士の手とは違い肌は柔らかい。剣や槍を持たぬ手。包丁ダコのある手を彼は料理人の手だと誇る。
自分に剣を向ける相手でも、剣を向けられても殺すことをためらう男。軟弱だと、甘すぎると叱る言葉に対して、自分は料理人なのだと返す。
この者は、碗を差し出したのが飢えた人間ならば、その背に背負っているのが敵の旗印でも粥を盛るのだろう。信長はケンの顔を見ながら盃を干した。
信長の言葉を理解するだけでなく、その先にある世界すら見えているようなケンの言葉。それを聞けば、信長のささくれだっていた気持ちが凪いでくる。
機嫌の悪い時の信長には、誰もが近寄るまいとするものを、ケンだけは恐れることなく、信長の顔を見る。信長に対して媚びることも追従を口にすることもない。
信長の癇癪や我儘に、周囲の者達は身をすくめる。しかし、ケンは信長を宥める言葉を口にする訳でも、理由を尋ねることもなく、高ぶった気持ちを静める効果があると料理を差し出す。
信長の言うことはすべて正しいと盲信するのではなく、理解出来ぬ妄言と否定するのでもなく、穏やかな笑みを浮かべて、美しく盛り付けられた『体に良い』『薬となる』旨い料理を信長に差し出すのだ。
最近では信長の機嫌が悪い時は、決まってケンが料理やら菓子を持ってくる。周囲の者達がケンに頼んでいるのだろう。
「旨いものを食べて、不機嫌な顔をする者はそうそうおりません。旨い料理は、人が幸せになれる手軽な手段です」
人とは、とても単純な生き物だと言いたげに、ケンは戦場にあってすら出来る限りの新しい料理を信長に献じ、生き残れと兵達に大鍋から振る舞う。織田の兵達の中で大鍋を背負ったまま戦場に出るケンを笑う者はいなくなった。
この戦いに生き残れば、旨い飯が食える。そう言って織田軍の者達は笑う。
信長の当たり前は、人にとっては不可解なことであることも多い。その差異に苛立ち、解からぬ者を愚かだと感じ、解からぬならばせめて黙って見ておれと切り捨てる信長に対して、ケンは今は解からなくても良いと微笑む。理解されないことを苦痛に思うことなく、穏やかな口調と柔らかな笑顔で受け流す。
出世も報酬も望まぬケンは、かなり扱いにくく、小者にはその無欲さが理解できないだろう。
だが、ケンは決して自分が無欲とは思っていない。彼の『欲』は信長が天下統一した後でなければ満たされぬのだ。
「ケン、お主は儂のものじゃ」
だから、儂を裏切るな。儂の傍にいろ。その言葉を口にせぬまま信長は盃をケンにさしだす。
「はいオレはお館様のものです」
柔らかな笑みを浮かべたまま、ケンが酒を継ぐ。銚子で継いだ酒はこれで最後。信長が追加を口にしなければ、このまま酒肴は片づけるのが常だ。
盃には清酒が満たされている。その済んだ面に信長の顔が映る。
ケンの記憶が戻れば、本来の主筋を思い出すのかもしれないが、いまさらケンを誰かに譲るつもりはない。
ケンの手が生み出す料理も、彼の知識も、すべては信長のものであって、誰かと分け合う気は毛頭なかった。
酒肴の膳を片づけようと伸ばしたケンの腕を信長の手が捕らえ、手元へと引く。
腰を浮かせていたケンは、信長に引かれるまま倒れ込んだ。
「お館様?」
困惑するように信長の顔を見上げるケンの顎を捉え、信長はそのまま唇を合わせた。
驚愕して目を見開き、四肢を硬直させるケンに構わず、信長はケンの舌をきつく吸い、己の口腔へ引きだしてから舌を絡めた。
信長の指がケンの袴の後紐の結び目をほどき、そのまま前紐を解きにかかる。ケンの両手が信長を止めようと肩を掴もうとしたが、行き場に迷ってその肘を掴んだ。信長の手から逃げようと身じろげば、長着と長襦袢が着崩れて、肌があらわになっていく。
ケンの舌を解放すればそのまま信長の唇が混じり合って溢れた唾液を拭うように頬をたどり、耳朶を含む。
「逆らうな」
幾分かすれた艶のある声音はケンの抵抗を縛る。
この時代、男色はさして珍しいものではない。戦場に妻妾を伴えないので、見目の良い小姓を性欲処理の相手にすることは、武家の嗜みの一つと認識されている。女犯を禁じている寺などの色小姓はある意味あからさまな程だ。
ただ、武将が小姓を愛でるのはその容姿だけでなく、後見となって教育し側近として育てる意味もある。
彼らは主の庇護の元、未熟であることを大目に見てもらえるうちに実力をつけ、実績を積み、周囲に容姿だけではないと認めさせなくてはいけない。それが出来ねば容色が落ちて主の寵を失った時に捨てられてしまう。
信長が初めてケンを寝所に呼んだのは、ケンの容姿が気に入ったというよりも、素性のしれない者を傍近く召抱える為の方便のような意味合いだった。
色欲で呼ばれたのではないと、信長の顔から察したので、ケンは褥を辞退できた。閨勤めで料理頭の地位を得たと思われるのは心外、まして信長が閨のねだりごとを聞くような者と口さがない者達に噂されるのは我慢が出来ないと。
プライドの高い信長のこと、正面から断られれば、二度声がかかることもないと思っていた。
信長に仕える気持ちに二心がないことを、料理で伝えてきたつもりだ。それなのに、どうして今頃と、ケンは混乱する。
男色に関して嫌悪を覚える程ではないが、自分がその対象になるのはケンにとって想像の外にある。
「あの…お館様…オレなど閨勤めには薹が立っているかと…」
他にも見目の良い年若い者は数多いる。というか、『女性と見まごう若衆』が信長の声がかかるのを待っている。正室である濃姫の他にも側室がいるし、何も無骨なだけの自分を相手にせずとも、とケンは引き倒された寝具の上で逃げようと摺り上がる。
「ケン、仏の顔も三度までというが、儂は仏ではないゆえな。拒絶を二度許す気はないぞ」
いや、それは用法が違うと返せないまま、顔を引き攣らせてケンは後退さる。
「逆らうな、そなたの全ては儂のモノであろう」
「それは…」
そういう意味で言った訳ではないと、口に出来る雰囲気ではない。まして、部屋の外に助けを求めても無駄であることも解っている。彼等は信長の意思を何よりも重んじて、ケンの葛藤など無視される。
「お館様、オレは…」
視線がうろうろと彷徨うケンの様子に、信長の口元に艶笑が浮かぶ。
日頃、農民に混じり諸肌を脱いで畑仕事をしているケンの肌は日に焼けている。それなのに、ケンは貧しい農民には見えない。それはその態度や見上げる視線に卑屈さがないせいだ。
ケンは頭の回転が速く、機転も利き、肝も据わっている。それなのに徒侍(かちざむらい)と同じ鎧を着せても侍に見えない。武芸の嗜みのないことが丸わかりな所作と、相手に剣を向ける事に対する覚悟が足りないことが見て取れるからだ。にわか仕立ての農民の方が、なりふり構わぬ分、ケンよりも厄介だろう。
そして、自分は侍ではないと言うように、ケンは成人しているにもかかわらず、総髪のまま髷を結おうとはせず、月形(つきさや)を剃ろうとはしない。
信長が指通りの良いその髪を鷲掴むと、ケンの顎が上がって仰け反った。
信長を見上げるケンの目は物問いたげに揺らいでいる。
ケンの言葉を封じるように、信長は噛み付くように口付け、そのまま寝具の上にケンは押し倒された。料理器具を扱っているせいで、ケンの握力はそれなりにあるのだが、日頃から剣や槍を振り回している武将の信長ではそもそもの基礎力が違う。それに、戦うことに不慣れなケンでは押さえ込まれると抗うにも引きはがせるどころか、身動ぐのが精一杯になる。
既に袴は蹴り下げられて褥の脇に追いやられ、長着と襦袢もはだけられて肩から落ちそうになっている。
ギリギリと柔らかな髪を掴んだまま、信長がケンの口腔を己の舌で蹂躙すれば、ケンの唇から飲みきれずに溢れた唾液が伝い落ち、くぐもった声が洩れる。
せっかく家を与えたのだから、京から呼び寄せた鍛冶師の女と一緒に住んでいるのかと思えば、彼女が生娘でなければ鍛冶ができぬというからと、手を出すこともせず、城の控え部屋で寝起きをしている。食材に関しては値段を気にせず買い求めるくせに、私物といえる物はほとんどない。
幾種類かの包丁と数枚の着替えだけ。彼の部屋は寝る為だけの部屋だ。書付らしいものはすべて料理に関する覚書。隠語ではないかと、疑う者もいたが、どこかぎこちない不慣れな筆は、仮名まじりの話し言葉。漢字を知らぬ訳でもないようだが、どう見ても不得手な文章で、人に見せる文章ではなく、あくまでも個人的な覚書のような文字の書き方だ。
料理頭の地位にあるケンが作るのは信長の食する物全てと、信長の席に呼ばれた客や家臣に振舞う料理、あとは濃姫に乞われて作る菓子や料理。城内の者達の料理は、元料理頭である井上を中心とした古参の者達の差配になる。
城内では常に厨か信長の傍に控え、それ以外の時間は畑を耕すか牛の世話をするか。
他の者達のように、仕事が終わった後、城下に繰り出し、浮かれ女や遊び女と戯れる訳でもなければ、城内の女を口説く訳でもない。
色ごとには疎いというか淡白というか、信長の知る限りそこらの坊主よりも余程清廉潔白で禁欲的な暮らしぶりだ。
無意識に色事を避けているのは、過去に忌避したくなるような経験があるのかと思ったが、ケンの顔に浮かんでいるのは戸惑いで嫌悪や恐怖ではない。いや、覚えていないのか。
「信長…さ…ま…お戯れは、どうか…このぐらいでご容赦を…オレは不調法者ゆえ…」
濡れた唇を拭わぬまま、真っ赤な顔で、何とか信長の不埒な手を止めようとするケンに信長は笑った。
信長にとって、抱くのに男女の差違は子供をなすか否かだけだ。
当主である以上、跡継ぎが必要だから、子を成すために女を抱く。それなりに好ましいと思い、情があるから所望したのだが、一族の優遇を願い出るのは可愛いもので、信長に無断で何かと便宜をはかろうと約束した者や、派閥を作ろうとした者達は、文字通り切り捨ててきた。実家の後ろ盾を無くし、子をなしてない濃姫が正室なのは、血筋や先祖の功績ではなく、一代で成り上がった蝮の娘であることを恥じていない女だからだ。
信長の周囲に残る女達は、容姿や信長の寵愛の深さではなく、例え朝廷や比叡山を敵に回しても、彼の覇業を支える覚悟がある者達だ。
信長の視線は天下にあり、寵愛を競うのは愚かだと、彼女達は知っている。知っている女達だけが、信長の周囲に残る。
だから信長も、彼女達を誰かと比べることをしない。
子をなす義務でなく抱くのは、信長が欲っしたからだ。内にある滾りを鎮める為であったり、無性に人肌が欲しい時。
そして、己の手で蹂躙したいときだ。
「ケン、これ以上抵抗すれば、ここを握りつぶすぞ」
料理を作るには支障あるまい。それとも、これを失えば味覚がかわるか?顎を掠めて信長の低い囁きがケンの耳朶を打つ。
下履きの横から差し入れられた節張った指が、ケンの陰茎と双珠を握り込み、ギリギリと力を込められて、身体を貫いた激痛にケンの抵抗が力を失った。
「そのまま、大人しゅうしておれ」
ついと、信長の指がケンの頬を撫でる。そのまま項を辿り、胸元にある乳首を捻った。
「っ…」
咄嗟に身を竦めたケンに、信長は喉を鳴らすように笑う。
「そら、膝を立てて足を開け」
パシンと渇いた音を立てて、信長の右手が、ケンの腰を叩く。
信長を見下ろされる姿勢のまま、信長の視線を避けるように顔を背けたケンはゆっくりと膝を立てて両側に開いた。
「そのまま、両手で膝を抱えていろ」
出来ないという言葉は、双珠を握る指に力を込められたせいで消えてしまう。
羞恥に全身を染めながら、ケンは強ばった両手で膝を抱え持つ。
骨張った身体を見て、信長の気持ちが萎えてくれないだろうかと、僅かばかりの期待は「閉じるな」と笑いながら股を大きく開かされて潰えてしまう。
伸びあがった信長が枕上の剣の横においてあった小さな瓶を手にすると、その中身をケンの下肢に零す。
鼻先を掠める香りに、それが丁字油と知れ、本気で信長が自分を抱く気でいるのだと解ってケンの手が思わず膝から離れ、信長の袖を掴もうとするが、信長に叱責されて膝を抱え直す羽目になる。
俗に蟻の戸渡りと呼ばれる陰嚢と菊座の間を、丁子油をまぶした信長の指が辿るのに、ケンの腰が跳ねた。ぬるついた指が菊座の縁をなぞり、また奥津城への道を繰り返し辿る。 ケンの脅えを宥めるように、信長の左手がケンの腰や太腿を撫でる。
そして、口元に艶笑を浮かべた信長が、ケンの唇を塞ぎ、逃げる舌を絡め取った。
視点が結べぬほどに間近な距離では、表情など解かるはずもない。それでも、信長の射るような視線を感じてケンは目を閉じた。信長の口腔に引きいれられてぬるついた舌を摺り合せるように絡められ、濡れた音を立てて啜られる。
それはキスと呼ぶにはひどく生々しい、接吻でも甘い、情欲をぶつけられる口吸いだった。
信長の指が、陰茎から菊座への道を辿り、ツプリと奥津城へ差し入れられる。
咄嗟に目を見開いたケンだが、視界はぼやけたままで、感じるのは信長の体臭と混じり合った香と、丁字の薫り。そして、内側へと沈む節張った信長の指。
陰茎には触れられていないというのに、狭間を撫でる指に腰が跳ね、内壁を抉り広げる指に腰奥が熱くなる。
男を抱くことに忌避感がなく、慣れている信長の手淫にケンが抗えるはずもなかった。
合わせた唇の狭間から零れる吐息が乱れ、掠れる。
あやすように信長の舌がケンの唇舐め、上顎をくすぐり、ざらついた舌の表面を摺り合わせて、付け根から絡め捕る。
ケンの両手が膝から外れ、信長の袖を掴み、両足は知らず信長の身体を挟み込む。
菊座を開かせる指が一本から二本、二本が三本と増やされ、腹側にあるしこりを押されれば、ケンの陰茎からは先走りの雫がツプリと溢れる。
「そら、ケン離せ。イイモノをくれてやろう」
「はっ…ふぅ…」
深い口付けと強制的に追い上げられる快感のせいで、目尻を赤く染め、息も荒いケンの意識が虚ろな内に、信長の両手がケンの膝を捕らえると、そのままケンの腰が褥から浮くほどに押さえ込み、猛った陽根でケンの後孔を一気に侵した。
「ヒィッ」
目を見開いて、ひゅっと息を飲むケンに、信長がフッと笑む。
「息を吐け、ケン」
余裕のある信長に比べて、ケンの方は惑乱の中にある。ギリギリと内側から広げられる違和感と内臓が迫り上がってくるような圧迫感。そして、自分の鼓動とは違う脈動が内側から響いてくる。
「やめ…もう…」
苦しいと顔を歪めるケンに信長は構わず、より深くケンの下肢を折ると穿ち降ろす勢いで自身の陽根を突き入れた。
「どうじゃ、儂の摩羅は気にいったか?」
「違…ぁっ…っ…」
楽しげに信長はケンの両足を掴んだまま、浅い箇所を掻き回し、硬いエラの張った雁首で奥まで突く。
丁字油のせいで、鈍い痛みはあっても避けるような苦痛はなく、信長の陽根が抜かれる時はケンの内側が捲れる勢いで抜かれ、絡みつく内壁を堪能するように腰を回される。
臀部を叩く音がする程に、信長は腰を打ち付けてくる。
しとどに濡れた叢がケンの菊座とその周辺を擽るのに、信長の陽根を全て自身の後孔に納められているのだと知らされる。
両足を屈される苦しい姿勢に、自然とケンの呼吸は浅くなり、声を殺すことも出来ずに喘ぎと嬌声が閨の空気を震わせる。
ただ、信長の下で、ケンは髪を打ち振るように首を振る。
「ケン、随分と旨そうに喰っておるが、初めてか?」
「何を…」
「ああ、覚えておらぬか。だが、ケンのここは覚えておるようだが」
そら、尻の穴を犯されて、嬉しそうに涎を零しておると、信長の指がケンの陰茎を弾いた。
思いも寄らぬ信長の言葉に、ケンは混乱する。ただでさえ、男に抱かれることがケンにとっては想像外のこと。それなのに、既に男を知っているかのように信長に言われて、どう答えれば良いのか解らない。
「信長様…オレは…」
男に抱かれたことなどないと、そう震える声で信長に訴えれば、覚えておらぬのにどうして解ると返され、ケンの意識は真っ白になった。
「違…本当に…オレは…」
男など知らないと、信長の腕を掴んでケンは必死で訴えた。
「儂だけか?」
「はい」
コクコクと何度も頷くケンは既に涙目になっている。
その涙を舌で掬い、信長はケンを抱き起こす。
信長の陽根を銜え込んだままの姿勢で、信長を跨ぐ形で座らされれば、自重も加わってより深く信長を迎え入れることになる。
知らず仰け反るケンの背中を引き寄せながら、信長はケンの乳首を口に含む。
ねっとりと舌を使ってねぶり、歯を立てて噛み、音を立てて吸い上げる。
ドクドクと脈打つ信長の男根はケンを貫いたまま、その猛りはケンを灼くほどに熱い。
「アッ…ン…もう…許して…くださ…」
「そうさな…腹の奥に子種を注いでくれと言えたら許してやろうか」
信長の左手はケンを宥めるように優しげな手つきで脇や太腿を撫でるのに、右手は信長を喰んでいる後孔の縁を辿り、陰嚢の手前までを擽るのだ。
信長の紡ぐ言葉に、ケンは被りを振って、信長の首に腕を回して抱き込むと、信長に頬摺りするように身を寄せた。
「まったく、初心なことよ。ならば、自ら腰を振って乱れてみせよ」
儂を楽しませろと、信長がニタリと笑う。
ケンは震える両手を信長の方に置き、ぎこちない仕草で腰を揺すった。
赤く熟れたグミの実のように、ケンの右側の乳首が濡れ光っている。ツキツキと疼くその先を信長の指で捻られて、ケンの腰が砕けた。
すると、今度は左側の乳首に顔を寄せた信長に、キリキリと噛まれてケンは掠れた息を吐く。
「このままではいつまでたっても終わらぬぞ?明日の朝、小姓が呼びに来たとき、そなたの痴態をみせつけるつもりか?」
ケンの乳首を嬲りながらクツクツと低く笑う信長が、しっとりと情欲に肌を濡らしたケンの貌を見やるのに、ケンは縋るように自ら信長の唇を求めて吸った。
信長は低く笑いを響かせて、ケンの尻臀を両手で掴むとその形を捏ねるように揉みしだき、自身の陽根の形を覚えろと両側から挟み込ませる。
そして、両腕でケンの下肢を抱えると円を描くように回しては揺すり、下から突き上げた。
信長の腰がケンを穿つ度に、ズチュッズチュッと淫猥な水音が下肢から溢れるが、ケンは羞恥心を殺すように信長の舌を吸った。
溺れる者が縋るような、技巧と言える代物ではないケンの接吻だが、その物慣れないケンの反応に、信長は楽しげに味わう。
確かに見たことも、食したこともない料理を作る。
だが、我流かといえば、そうではない。京らしい本膳料理をと言えば、きちんとそれを踏まえて作ることができた。
魚の捌き方や野菜の切り方。ケン独自の包丁使いがあるものの、他の料理人と同じように切れぬ訳でもない。まして、その手にある包丁ダコは、長い間料理を修練していた証だ。
ならば、彼に料理の基本を教えた師がいるだろう。市井の庶民を相手にする料理人ではなく、本膳料理を作ることができる料理人だ。
武芸でもそうだが、修練はまずは基本となる型を学び、師の真似から始める。そして、自分にあった型を作っていく。
ケンの料理は基本を踏まえた上で、「破」を行う技と料理。
ならば、ケンの才能や料理は同僚や兄弟子達から妬まれただろう。邪道と罵られただろう。
場合によっては、教えた通りに作らず、それでいて見た目も味も良い料理を作るケンの才能を彼の師も疎んじはしなかったか。
金に糸目をつけず買い込んだ海の幸である伊勢海老や鯛も、貧しい農家から分けてもらった芋の蔓やしなびた野菜でも、ケンは同じように料理を作る。
食材に優劣をつけることもなく、野卑と呼ぶこともしない。
彼の料理は飢えを満たすために、自分のために作る料理ではなく、誰かの為に作る料理だ。
その気遣いが、料理とともに皿に盛られている。
諸国を旅する好々爺とした格の高い老僧か、土地や身分に縛られぬ貴人にでも仕えていたか。そう思っていたのだが。
記憶がないと言う故に、彼の素性がしれぬ故に、間者ではないかという疑いがどうしても消えない。
織田の懐深く入って後、裏切るのではないかと、ケンを不安視する者はいる。南蛮の間者ではないか、本願寺の間者ではないかとケンを見る者達は織田家中だけでなく、ケンの料理を口にした者達の間で常にいる。
彼と同じような、未知の料理菓子を作る女の料理人が本願寺にいると聞いた時、確かに胸が騒いだ。
あの、とり澄ましたしたり顔の顕如にも、ケンは料理を指し出したのだろうかと思えば、腸が煮えた。下手な大名よりも大名らしい、俗世にまみれた仏僧とは縁遠いあの男も、ケンの料理に舌鼓を打ったのだろうか。私欲からは遠い、ケンの誠実さや二心のなさを、愛でただろうか。
ケンは本願寺縁の者かと。記憶が戻れば、主筋より命じられれば、この信長の元から離れるのかと。
銭や地位でケンを縛ることは出来ない。命をたてに脅されても、意に染まぬことは引きうけまい。ただ、妙に甘く義理堅い所があるので、他人の命を盾に取られると揺らぐ。
それが解かっているから、あの鍛冶師の女を呼び寄せた。彼女を放って行方をくらますことはあるまいと思ったからだ。最低限、彼女の身の安全を確保しようとするだろう。所在を告げなくとも、無事でいることを知らせるぐらいはするだろう。今もなお、記憶を無くし、身元も解からぬ自分を拾って面倒をみてくれたと、ケンは彼女に感謝しているから、彼を引きとめる楔の一つぐらいにはなるだろうと。
だが、今はケンの持つその誠実さや義理堅さが忌々しい。
本願寺には行かせぬ。その女料理人に会いに行く事も許さぬ。記憶など、このまま戻らずともよい。
鍛冶師の女に対する恩義、可成を助けられなかった悔恨、ケンを縛る鎖になるか。
いや、まだ足りぬ。ケンを留める楔は。
「余所見をするでないわ。そなたは儂のことだけを見て、儂の事だけを考えておれば良い」
「信長…様…」
何も産まぬと知りながら、信長はケンの身体の一番奥に、自身の情を注いだ。
ドクリと大きく脈打ち、ケンの柔らかな内側に叩きつけられるそれが、信長の精だと解った瞬間、ケンの脳の奥がぐらりと揺れた。
一度では終わらず、二度三度とケンに注ぎ、それを馴染ませるように幾分勢いを無くした信長の陽根がケンの後孔を掻き回す。
そして、ようやく、信長の手がケンの陰茎を握ると、絞るように擦られ、遂情を許された。
仰け反ったケンの喉から甘さを含んだ掠れた嬌声が零れる。辺りを憚るように押さえたそれが、ケンらしいと思う半面、何やら口惜しくて、下肢を濡らすケンの精液を塗り広げるように腹を撫で回した。
クタリと信長に凭れて、荒い息で胸を上下させるケンの、紅く染まった目尻に口付けると、信長はケンを褥に引き倒し、信長の陽根を銜え込んで離さぬケンの後孔の縁を指で辿る。
ハッと目を見開いたケンの鼻先を軽く囓ると、信長の顔に酷く艶めいた微笑が浮かんだ。
「ケン、おぬしが誰のモノか、よくよく身体に教えてやろう」
「何を…怒っておいでなのです?」
「怒る?怒ってなどおらぬわ。ただ、儂以外のことに気を取られている様を見るのは我慢がならんだけだ」
そう言った信長の両手がケンの手を掴む。その指は互いの指を交互に重ね、強く握りしめられた。そのまま、褥の上に押しつけられ、ケンは信長に貪られるような口吸いを受けると、ケンの伸びやかな両足が信長の鍛えられた身体を挟み込んだ。
信長の蹂躙を止めようとしているようにも、喰われたいと促しているようにも思えるその仕草に、信長はケンの舌を吸いながら笑った。