紫翠楼/WILD FLOWER

箱庭の庭園4本好きの下克上

フェルディナンド×ローゼマイン

 領主会議は静かに荒れた。

 前回は、ランツェナーヴェの侵攻と撃退、アーレンスバッハの前領主夫人によるエーレンフェストへの攻撃と討伐、外患誘致をおこなったアーレンスバッハとディッターによってそのアーレンスバッハの礎を奪い、アウブとなったローゼマイン、長らく失われていたグルトリスハイトがもたらされ新ツェントが立ち、領地の境界の引き直しと元ツェントであるトラオクヴァールが旧ベルケシュトックを母体としたブルーメフェルトのアウブへ、次期ツェントと言われていたジギスヴァルトは中央から切り分けた中領地のコリンツダウムのアウブに。中央も大幅に縮小され、中央神殿も解体された。

 ことがあり過ぎて訳がわからぬまま、どさくさまぎれのようにアーレンスバッハは新領地アレキサンドリアとして承認された。

 外患誘致に直接かかわった者、ゲオルギーネはエーレンフェストに攻め入った際に反撃にあって高みに登ったが、娘であり中継ぎアウブであったディートリンデ、ディートリンデの姉であり領主一族でありながら愚行をとめるどころかディートリンデに代わって礎を染めたアルステーデとその夫ブラージウスは捉えられたが処分は白の塔に幽閉で、政変のおり連座で罰を受け、わずかでも繋がる一族ことごとく処分されたことを知る者からすれば納得がいかない。

 ランツェナーヴェが貴族院に侵入した際、撃退戦に参加したことで外患誘致がアーレンスバッハの総意ではないと示したが、アレキサンドリアになったからと、全てが許されるのか?勝ち目がないと思ったからディートリンデ達を切り捨てたのではないのか?そんな疑心が見え隠れする。

 中央神殿ももともと王族とは溝があったのに加え、ローゼマインがおこなった神事によりただでさせ無いに等しかった権威が壊滅に近い不信に変わった。

 そこにイマヌエルがランツェナーヴェのジェルヴァージオを正当なツェント後継者とする愚行をとったものだから、中央神殿の解体はほぼ全アウブ達の賛同を得、グルトリスハイトを得た新ツェントのエグランティーヌが神殿改革を行うと神殿長に就任し、中央にいた青色神官達を各領地に戻したため、神殿内にいたイマヌエル達聖典主義の者達は居場所を失うまでに勢いが削られた。

 グルトリスハイトをもたぬツェントは正当ではないと王族を批判してきたが、正しく女神を通してグルトリスハイトを授けられたツェントが即位した。

 聖典を掲げてみせても、その方らは『本来の正しい儀式』を行えないではないか、とダンケルフェルガーを筆頭にアウブ達は中央の神官の意見は聞かない。

『メスティオノーラの書』を持ち、神々の加護を得て祝福をふりまき、女神をその身に降臨させたローゼマインの威に膝をおるのに比べて、中央神殿の者達は本当に聖典が理解できているのかとすら揶揄された。

 目先の利益に目がくらみ、女神の化身ではなくランツェナーベの紛い者にグルトリスハイトをもたらす者と膝を折るとは、それで神の御言葉を正しく理解できているのかと、聖典主義者達だけでなく、中央神殿の上層部全てが役立たずの烙印をおされた。

 ローゼマインを神殿長として中央神殿に迎えていれば、女神の威光をもって正しくツェントに光の冠と加護を授ける者として神殿の権威はこれ以上ない程に高まっていたものを。

 イマヌエルだけでなく、前神殿長であるレリギオンとその側近も突き上げをくらった。

 上層部が内部で勢力争いをして、ランツェナーヴェなどについたせいで、ユルゲンュミットを統べるツェントの上位にたてた機会を失ったのだと。

 中央神殿の神官達はローゼマインの慈悲を請おうとしたが、フェルディナンドが側近に命じて鉄壁ともいえる遮断壁を築き、寄せ付けなかった。

 ローゼマイン様は新領であるアレキサンドリアのアウブ、中央神殿の者が慈悲を請うなど筋違いも甚だしい。

 その方らが弁明すべきはローゼマイン様にではなく、神殿長に就任されるツェント・エグランティーヌ様に対してであると。

 中央のことは中央で、今後はツェントとなったエグランティーヌとアナスタージウスが改革をすれば良い。

 面倒な聖典原理主義者達は失脚しているのだから、あとは自力でどうにかできるだろうと、エグランティーヌ達に言い渡していた。

 フェルディナンドとしては下手にローゼマインが中央の神官と面識を持ち、彼等をアレキサンドリアの神殿に受け入れるようなことをされては困るのだ。

 ただでさえ、アレキサンドリアの神殿は親から見捨てられた孤児とランツェナーベ戦により身寄りを亡くした被害者と加害者の身内がいる。ここに中央神殿出身者が加われば、混沌が深まるばかりで、何の益もない。

 それどころか、アレキサンドリアの神殿こそが正統などと言いだし、中央と争われては困る。

 女神の神気こそ無くなったが、貴族院での奉納舞を見た者達は、ローゼマインの上に女神の権威を見る。

 各地に豊穣をもたらすためにも、魔力の奉納をと言いだす領地にはことかかない。

 土地を豊かにする方法も、神々の加護を得る手段も公開している。

 あとは神事を行い、祈りを捧げ、聖典を読み、貴族院の図書室に通って神の意を得れば良い。アウブ・アレキサンドリアであるローゼマインに代行を頼むのは、アレキサンドリアに併合されたいということか?自領のことは自領で努力すべきでは?

 言い方こそ貴族的ではあっても、笑顔で毒を吐くというか、喧嘩ならば高値で買ってやると言わんばかりのフェルディナンドの態度と物言いに、ローゼマインは笑うしかなかった。

 頼りになる旦那様候補の婚約者なのだと、事ある毎にアピールはしている。

 そうでないと、年齢差や経歴などを持ち出して、別の夫をあてがおうとするのだ。

 こういうときばかり他領の領主達は結託すると、ローゼマインは苦々しい思いを社交的笑顔で隠す。

「何やら誤解があるようですわね?私がトラオクヴァール様の力になりたいと思ったのは、ツェントだったからでも王族だからでもありません。フェルディナンド様と同じ、薬で無理やり身体を立て直して仕事をされている雰囲気があったからです。グルトリスハイトがないままツェントとして働くことの大変さは存じ上げませんし、長くトルークを使われ、ラオブルートの裏切りや誘導もあって気弱になられていたようですけれど、グルトリスハイトを得た者が真のツェントだから、ユルゲンュミットの民が虐げられようと受け入れるとおっしゃったのは許す気になれません。そもそも、王族が自分達に都合の良いように捻じ曲げてきたせいで、正しい知識が失われ、グルトリスハイトの取得方法が忘れられたのではありませんか。上位者は下位の者を守り、利益を配るものと教わりました。他国者に攻め込まれているのに敵を追い払うどころか自己保身のために引き籠もるのが王族の務めなら、誰が国を守るために戦う者達の指揮をとるのです?」

 旧ベルケシュトックはトラオクヴァールとその側近が思っていた以上に荒廃していた。

 土地の荒廃だけでなく、そこに住まう人間の精神の荒廃の方が深刻で、元ツェントであったトラオクヴァールに対する恨みは深い。

 境界線を引き直し、一息ついたダンケルフェルガーだったが、マグダレーナから現状報告と援助依頼の手紙をみて溜息をついた。

 今回のランツェナーヴェ戦で華々しい活躍とクラッセンブルクを抑えて序列一位を確保したせいで、他領から妬まれる立場なのは想像に難くなく、助力は仕方がないと理解していた。

 マグダレーナはアウブ・アレキサンドリアの夫となるフェルディナンドといささか関わりが深い。

 正直、元王族よりもローゼマインとフェルディナンドとの親交を大事にしたいのだ。

 というよりも、彼等を敵に回したくない。貴族院時代、フェルディナンドを『魔王』と呼んだダンケルフェルガーの者はまさしく正しかった。

 女神を降臨させたローゼマインもフェルディナンドを害する者を許さないのは、ランツェナーヴェとの後始末を取り決めた御前会議や領主会議での発言で明らかだ。

 そして、ローゼマインだけでなく、神と直接対話できることからフェルディナンドもまたグルトリスハイトを所持しているか、所持する資格をもっていると推察できた。

「エグランティーヌ様のグルトリスハイトは、一代限りとローゼマイン様が授けたもの。多分、フェルディナンド様が混乱少なくツェントの位を移譲するために用意されたのでは?」

「エグランティーヌ様がツェントとして不適格であったとしても、アレキサンドリアの礎をレティーツィア様が染めた後、ローゼマイン様がツェントに立てば問題はない。というより復興の象徴としてのツェントならローゼマイン様のほうが相応しいのだ。ユルゲンシュミットを統治するのは各アウブ、そのアウブ達が勝手をせぬようにフェルディナンド様が睨みをきかせるのが一番手っとり早い」

「アナスタージウス様は兄であるジキスヴァルト様をたてていましたし、エグランティーヌ様を大事にするあまり、公よりも私を優先する印象は拭えません」

「そのせいで、魔王殿に付け込まれ、良いように利用される未来しかみえぬよ」

「同感ですわ。王族であるという優位性がなければ、そもそも勝負にもなりません」

 フェルディナンドにとって、ツェントであるエグランティーヌはローゼマインをツェントにしないための防波堤程度でしかないだろう。

 ツェントに対して礼は尽くすが、尊崇はしない。

 これでエグランティーヌが転けるとダンケルフェルガーに中継ぎツェントの座が回ってくる。

 世襲ではなく、資格を得た者がツェントになる、古の選出方法に戻すと言ったのは、どう考えてもローゼマイン以外の候補を立てるためだ。

 そして、やっかいなことにローゼマインはフェルディナンドの意図をしらないまま、ツェントを拒否している。

 美味しい食事と大好きな人に囲まれてのんびり本を読んで過ごすのがわたくしの幸せなのです。アレキサンドリアでメスティオノーラ様の図書館に負けない図書館都市をこれから作るのに、どうしてわたくしがツェントになんかならなくてはいけないのです?と、本気で理解できないという顔でツェントの権威を否定した。

 ユルゲンシュミットに変革の時が訪れる。

 ある者には神々の祝福を、ある者には災厄となるだろう。

 選択を間違えば、自分達も滅びへと向かうことになると理解している者達はローゼマインとフェルディナンドから視線を外さない。

 ローゼマインの外見とフェルディナンドに瑕疵ありとみて侮る者達が踊る様を対岸から眺めていた。

「王族の方々だけでなく、アウブの皆さまもツェントの旨みしか認識されていないようですが、ツェントとは神々に祈りを捧げ、ユルゲンシュミットに魔力を奉納する者のことです。ユルゲンシュミットを支える方だから敬意を払うのであって、他者から搾取して許される者という意味ではありませんのよ?」

 正直、ディートリンデとヴェローニカには同情する気は全くないが、ゲオルギーネには多少同情しているのだ。

 次期領主にふさわしくあろうとすごく頑張っていたのは、話を聞いてなんとなく思ったのだ。それなのに、男児であるジルヴェスターが生まれると今までの努力を全否定されたあげく、次期領主と決められたジルヴェスターは苦手な勉強からは逃げるし、貴族院では好きな女の子を振り向かせるのに必死だわでは、そりゃ嫌味や嫌がらせの一つもしたくなるだろうと思ってしまう。

 これでジルヴェスターが誰よりも領主にふさわしくあろうと努力していれば、ゲオルギーネも気持ちに折り合いがついたかもしれないが。

 こう考えると、やはり災厄の元凶は前アウブ・エーレンフェスト夫妻という気がする。

 ただ、ゲオルギーネを許せないのは、領民を見捨てたことだ。エーレンフェストに恋をしていたとすら思える執着で、礎を奪って自分を認めなかった両親に復讐したかったのかと思える程に捨て身で、アーレンスバッハとエーレンフェストに住む者達の命を粗末に扱い過ぎた。

 あの優秀さを領地を豊かにすることに使ってくれたら、どれほどの賢夫人だったことかと思う。

 気の毒とは思うが、それでも守るべき領民を殺す人間を領主とは認められない。その一点だけで、ローゼマインはゲオルギーネを許せない。

「いい加減、皆様は楽をしようとするのを改めてはいかがです?神に祈れば加護を得られるのが明らかなのに、神に祈りたくない。魔力不足がわかっているのに、自身でそれをうめる気はない。何のための貴族、領主ですか。嫌だというなら、後継を育てて隠居なさいませ」

 長年積み重なった神殿に対する拒否感はしかたがないと分かっていても、堂々巡りの不満にいい加減見切りをつけたかった。

 貴族的な物言いを排して、これ以上ない程直截的な嫌味に、領主達は言葉を失う。

「配慮、配慮とおっしゃいますが、まずは自分達で出来ることをすべて試してみて、その上で協力をというならともかく、最初からあてにするのはどうなのです?やる気がないなら、やる気のある者に譲ればよろしいのでは?」

 現状、旧ベルケシュトックを含むブルーメフェルの領主になるなど、どんな罰ゲームだと誰もが思う。

 赴任してみてトラオクヴァールやマグダレーナはこの地の扱いの難しさを思い知った。

 旧ベルケシュトック出身者が非協力的なのだ。

 ここまでこの地が荒廃したのは王族の身勝手からだと、トラオクヴァールの元ツェントや王族という肩書が権威を示すどころか憎悪の対象にしかならない。

 権威が通用しないのだから、真摯に魔力を注ぎ、職務を果たすしかないのだが、今までツェントの側近として周囲から尊重されて来た者達は、冷遇ともいえる態度に戸惑い、無礼だと憤った。

 それでも、旧ベルケシュトックの貴族達は退かなかった。

「王族にとって、ユルゲンシュミットとは中央周辺のことで、この地はユルゲンシュミットではなかったのでしょう?」

「我らをユルゲンシュミットの民ではないと否定しておきながら、何を言われる」

「それに、すでに王族でもツェントでもあられないのだから、アウブとしての責任ぐらいは果たしていただきたいもの」

「境界線を境に、緑豊かに茂るアレキサンドリアや、荒廃とは縁遠いダンケルフェルガーの様子を目にするギーベ達の心情はどれほどか」

 境界線を境にがらりと変わる景色。

 豊穣が約束され、農民達の表情も明るいアレキサンドリアを実際目にするブルーメフェル側のギーベや領民達の羨望と絶望がどれほどのものか。

「どうして我らはアーレンスバッハに属したままでいられなかったのか。アレキサンドリア領であれば女神の祝福があったものを」と、エーレンフェストに攻め入り、魔力を奪ったことを棚に上げて嘆く者達もいる。

 フェルディナンドにしても扱いが面倒なので、これ幸いと押し付けたというのが正直なところだ。

 王族が下手を打ったのだから、自分達で後始末をすれば良いと突き放している。

 コリンツダウムの領主となったジギスヴァルトの方はもっとややこしい。

 もともと、父親であるトラオクヴァールがグルトリスハイトを持たぬままツェントとなったせいで、グルトリスハイトをまたぬことがどれだけツェントの業務に差し支えるかを知る半面、グルトリスハイトが無くともツェントになれる実例を見て育ってしまった。

 ローゼマインを通して次期ツェントから、王族ですらないアウブになった。その上、契約不履行をたてた離婚でその領地も削られ中領地に落ちた。

 今まで、ツェントとして魔力を注ぐことが大事と教えられてきたのに、突然領地経営と言われても勝手が違いすぎた。

 礎に魔力を注ぐことに違いはありませんよ、とローゼマインは軽く言う。だが、それは最低限のことであって、順位を上げるなら質を問われることぐらいはジキスヴァルトとて理解していた。

 だが、ジキスヴァルトに与えられた土地は、これといった特色がない。

 ジギスヴァルトの側近たちもまた、新しい産業を興すだけの発想やツテがない。

 何よりも、今まで頭を下げていたダンケルフェルガーやドレヴァンヒェルから取るに足らぬという態度が透けて見えるのが耐え難かった。

 実際、序列でいえば当分3位からおちることはあり得ないダンケルフェルガーと知の領地を自負するドレヴァンヒェルが大きく順位を下げることはないだろう。

 だが、何よりも腹立たしいのは、この二つが親しく付き合っているのがアレキサンドリアのローゼマインであり、彼女の婚約者であるフェルディナンドであることだ。

 傍系王族とはいえ、魔石となるために生まれた『アダルジーザの実』であり、今回侵略を企てたランツェナーヴェの血族であるフェルディナンド。

 ツェントへの叛意がないことを示すためにアーレンスバッハに婿入りを承諾したというが、彼がディートリンデやゲオルギーネを抑えなかったから、貴族院への侵入を許したのではないか。

 それなのに、彼はローゼマインの保護者であった立場を利用し、彼女に庇われて罪に問われることなく、ツェントの命令をたてに婚約者になりおおせた。

 元王族の姫が男達を迎えるために過ごした離宮に、それと知っていながらエグランティーヌとアナスタージウスを住まわせ、これ見よがしにフェルディナンドが自作した『お守り』と称する虹色魔石をふんだんに使った装飾品でローゼマインを飾り立てる。

 ローゼマインも一度は求婚を受け入れ、首飾りを受け取っておきながら、『許可証』だと言い張って返してきた。衆目のある場所でジギスヴァルトに付き返せと指示したのもフェルディナンドに違いないのだ。

 触れただけで金粉化したジギスヴァルトの首飾りに対して、自分が贈った髪飾りはこの通り彼女を飾り守っていると、虹色魔石をわざとらしく揺らしながら優越感に満ちた顔で嗤っていた。

 触れるだけで金粉化するような魔力差で、女神の化身を第3夫人になどと、身の程知らずにも程がある。

 フェルディナンドだけでなく、ダンケルフェルガーやドレヴァンヒェルからも相応しからずと失笑が聞こえる。

 以前は王族であったとしても、今では中領地のアウブに過ぎぬ。上位者に対する振る舞いをいい加減身につけられてはいかがと嘲笑のにじんだ声。

 全て今までの振る舞いがは跳ね返ってきているのだが、過去の名前に縋るジギスヴァルトには理解出来ていない。

 次期ツェントであった私がどうしてこんな扱いをうけるのか、ジキスヴァルトの不満と恨みが募っていく。

 あの男が王族に、ツェントであったトラオクヴァールに対して恨んでいないはずがない。あれほど悪意に満ちているのに、どうしてローゼマインは気付かないのか。

 気づいていながら、フェルディナンドに味方しているのか。

 女神の慈悲をアレキサンドリア以外にも、ユルゲンシュミット全体にと願っても、彼女は首を傾げるだけで、なぜそのようなことが必要なのかと問い返してきた。

 自分はアレキサンドリアのアウブなのだから、まずアレキサンドリアのために尽くすのが筋。

「だって、王族の方々は以前に言われたではありませんか。エーレンフェストのことはエーレンフェストで処理せよと。ならば中央のことは中央で、各領地のことは各アウブの責任ですよね?」

 王族が余計なことをしたのかと、ジギスヴァルトやトラオクヴァールを見る中位や下位領地の視線が厳しくなるが、ローゼマインは気にした様子もない。

 すでにローゼマインの中で、ジギスヴァルトのことは関係ないものとして処理されている。フェルディナンドを救うために許可証をくれたことは感謝しているが、ランツェナーヴェの侵攻の責任をフェルディナンド一人に背負わせようとしたことは納得できないし、自分でグルトリスハイトを得るのではなく、ローゼマインに取得させ、それを差し出させようとしたことも怠惰と怒るフェルディナンドに同意してしまうので、面倒だから目を合わせないようにしよう、というぐらいの認識だ。

 エグランティーヌとアナスタージウスに対しても、友人だと思ったからこそ力を貸したいと思ったし二人の幸せを願いもした。

 だが、彼女達の『友人』は自分の考える定義と違うと思ってから、親身になろうとは考えていない。

 自分の利益のために利用するのがあなた達の『友人』なのでしょう?ならばわたくしもそのように扱います。わたくし達の役にたってください。

 ローゼマインは情に厚いが、線引きははっきりしている。一度はじくと、本当にどうでも良いという扱いになる。

 一応、不当な扱いを受けて死ぬのは寝覚めが良くないと気にかけはするが、本当にそのぐらいしか気にしなくなるのだ。

 そのことが骨身に染みたのは、ローゼマインが何の助力もしなくなったことだった。

 神に祈れ、古語を勉強しろとは言っても、神々の指針を示すことは言わない。

 神殿の地位回復のための施策についても、ローゼマインからの後押しはなく、ツェントのよろしいようにと、貴族的な笑みを浮かべるだけ。

 アレキサンドリの神殿はローゼマインの指示のもと、女子供も安心して通える学びと祈りの場所として生まれ変わったし、これからは平民達の基礎教育の場として整備していくというが、別に他領にそれを強要する訳ではないとも言う。

「これからのアレキサンドリアには、文字の読み書き、計算、貴族に対する礼節を知る平民が多く必要なだけです。何といっても産業の担い手は平民なのですから」

 エーレンフェストの灰色や孤児達もローゼマインとフェルディナンドの教育を受けた者達は優秀だと言われた。

 アレキサンドリアではその規模を拡大していく予定なのだと、ローゼマインは笑う。

 急ぎ過ぎるといつもは止めるフェルディナンドが制止しないのは、実際ローゼマインの事業を実現しようとすれば、人材がまったく足りないからだ。

 生産、流通、販売、これらすべてを拡大しようというのだから、優秀な人材はいくらでも欲しい。警戒はするし、調査も綿密に行うが、旧アーレンスバッハの貴族達を活用しないという選択肢は初めからない。

 エーレンフェスト組が基準となり、彼らと同等以上の能力があれば役職を与える形で組織の再編を急速に進めている。

 わたくし、ディートリンデ様よりフェルディナンド様を酷使しているのでは?とローゼマインが青褪めたが、あの頃は積まれる木札を苦々しい思いで仕方なく処理していたのに対して、今は自分が望んで仕事をしているのだと、疲れた身体を引きずって回復薬を飲むのではなく、やりたい事があり過ぎて時間が惜しいと飲むのだから作業効率も違うとフェルディナンドが答えるから、回復薬は食事代わりに飲むものじゃないと何度注意したらわかってくれるのですか!とローゼマインが怒っていますとアピールするので、ユストクスなどは必死で笑いをこらえている。

 わざとではないものの、婚約式のときのことも相まって、ローゼマインとフェルディナンドは幾多の試練を乗り越え結ばれた相思相愛というのがアレキサンドリアだけでなく、貴族院でも広まっている。

 見方を変えれば、婚約者だったヴィルフリートとディートリンデには失礼な話だし、随分ひどい扱いと言えるのだが、そこはエルヴィーラが渾身の作として書き上げた『良く似た設定ですが実在の人物とは関係のない、まったく架空の恋物語』による印象操作が多きい。

 事実も言ったセリフも概ねあっているのだが、とにかく盛り過ぎだというのがローゼマインの印象。特に神様表現はいまだに半分も理解出来ていない。

 それでも読後の女性達は皆うっとりと溜息をついて満足そうなので、楽しんでくれて、これで本好きが増えるなら良いか、と流してしまった。

 フェルディナンドにすれば、これに書かれているほど優しく接した覚えはないのだが、薬の調合を通して体調を崩すローゼマインを何かと気にかけていたのは本当だし、虹色魔石を使ったお守りを贈ったのも事実。ローゼマインの作詞した曲を編曲して歌ったのも事実で、嘘ではない。

 それがエルヴィーラが書くと、どこの騎士がこんな闘いのさなかに悠長なセリフを言えるのだという程、今この時だけでも側にいたいとかき口説いている。

 互いに婚約者のいる身での許されぬ恋、それでも互いに魅かれあい、神によって結ばれた運命の恋人。ツェントの命令で他領に向かう時の別れの場面は、互いに好意を告げることが出来ず、ただ気遣う言葉だけを交わして別れの言葉を口にしない。お互いの想いが触れそうで触れぬ指先から伝わり、涙なしには読めないと評判である。

 フェルディナンドの記憶では、アーレンスバッハでの生活を心配し、レティーツィアに一見無愛想で授業は厳しいけれど、それはレティーツィアのことを考えてのことで、分りにくいとは思うけれど本当は優しいのだと、ローゼマインなりに頑張ってフェルディナンドの良さを力説していた姿と無理やりつくった笑顔。

 書かれているほど感傷的な別れではなかったが。

 礎を奪うディッター物語は、ローデリヒが臨場感たぁっっぷりに書いたせいで、ダンケルフェルガーから大量注文が入ったそうで、請け負ったイルクナーが喜んでいた。

 作家と絵師を育てなければ、とローゼマインが力説していたが、そのことが良く分かる。

 今後も恋物語はエルヴィーラとその友人達が書くだろうし、神話絵本は神殿の孤児院で作成されるだろうが、話を書く人間がいなければ本は出来ない。

 文具として使うには、まだ紙の単価は高くて、気軽に使うのは難しい。

 このままだと、エーレンフェストでの版権は、エルヴィーラの独占状態になる。

 表立って出来ないまでも、フェルディナンドやローゼマインの後押しをしてくれるのはありがたいのだが、アレキサンドリアとの関係が密になれば、それはそれで諍いがおきるだろうに。

 それでも、お話の中だけでも幸せになって欲しいと書かれた前の話に比べ、今回の新作はなんと堂々と恋人の手を誇らしげにとっているのか。

 貴族院で今なお語られているフェルディナンドの噂は、どれも一面を切り取ったもので、まったくの嘘ではない。

 下位領地の領主候補生、私生児と陰口をたたかれ、記憶をたどれば生きていることが罪だと思いもした。諦めることには慣れても侮られることは我慢できなくて。

 自分はここにいるのだと、その存在意義を神に問うていたのかもしれない。

 だから、フェルディナンドが必要なのだと、大切なのだと手を伸ばしたローゼマインに縋ったのは自分なのだ。

 元神にすら死ねと言われたし、命の糸を切られたこともある。

 それでも、ローゼマインが死ぬなと言うなら、どれほどみっともなくても生きあがこうと思う。

 上位領地を巻き込み、王族どころか神を敵に回してもフェルディナンドを助けに来てくれた。ならば私は私から君を奪う者はあらゆる手段をもって排除しよう。

 君が大事に思う者達を守るためなら、誰に何を言われようが、何と思われようが構うものか。ただ、君が暢気に私の側で笑っていてくれるなら、全身全霊をもってアレキサンドリアを守ろう。

 フェルディナンドはローゼマインをランツェナーベの姫達が過ごした離宮に住まわせようとし、フェルディナンドの安全をちらつかせて自身は努力せずローゼマインにグルトリスハイトを取得させた上で王族をたてに献上させようとしたこと、自分達が蔑む神殿にいれようとしたこと、第3夫人と言いながら魔力供給にすり潰す気だったことを許していない。

 今の王族など何の価値も無いと、知らしめてやる。

 元々、グルトリスハイトを持たず、ツェントとしての役目を果たせず、境界線の引き直しどころか必要な魔道具への魔力供給すら満足に行えなかった彼等に不満を持つ者は多かった。

 表向きは頭を下げても、名ばかりのツェントという侮りが消えなかった。ローゼマインは回復薬の匂いをさせてツェントの役目を果たそうとしていたトラオクヴァールに同情的なところがあるが、フェルディナンドにすれば長い間トルークを使用されているのに気がつかない本人とその側近はどれだけ無能なのかと思うし、騎士団長であるラオブルーとの裏切りに長い間気がつかず、情報を遮断されて良いように誘導されていたとしれば、よくそれでツェントを名乗ったとすら思った。

 ユルゲンシュミット全体の魔力不足は王族達の身勝手さが招いたのだ。

 ならば、そう簡単に楽にさせてやるものか。

 ジギスヴァルトにはゆっくりと思い知らせてやる。自分がどれほど身の程知らずな野心を抱いていたのか、ローゼマインにとって無価値な存在なのか、彼が持つ王族の矜持を粉々に砕いて死にたくなるほどの絶望を味わわせてやる。

 求愛の首飾りを許可証と認識して受け取ったローゼマインの迂闊さが腹立たしかったが、誤解させたまま与えたのはジルヴェスターだ。

 フェルディナンドを救出しろと表立っては言えず、王族から預かった求愛の首飾りをそれと告げずに渡したのは、彼なりの抵抗だったのかもしれないが、王族の意に逆らえない彼の立場を示している。

 力を込めるどころか、触れるだけで金粉化する程度の魔力しか保持せぬ身で、彼女に第3夫人という肩書だけ与えて飼い殺す気だったのが透けて見えた時、彼と王族に対する警戒は侮蔑に振りきれたのだ。

 貴族的な、見る者に蠱惑と恐怖を与える薄い微笑を浮かべたフェルディナンドのローゼマインより色の淡い金色の瞳が、王族を名乗る者達と彼等を支持する中・下位領地のアウブ達を見据えていた。

 

 領地対抗戦から領主会議までの日程が終わり、それぞれの地元に貴族が戻った後、ライゼガングは割れていた。特に世代間の格差は広がるばかりだった。

「ですから、跡は弟が継げばいい。私は星結びの相手にアレキサンドリアの貴族を選び、あちらに移ります」

「叔父上達はヴェローニカ派にライゼガングがおとしめられ不当に扱われてきたと言われるが、他領の者達にエーレンフェストがおとしめられて不当に扱われるのは平気でいらっしゃる。」

「政変前の下位領地であった頃の記憶が抜けず、上位には唯唯諾諾としたがう負け犬根性が染みついていらっしゃるようだ」

「言葉が過ぎるぞ!」

「どこがですか。わたしは自身のまとうマントの色を恥じたくはございません。たとえ王族が相手であっても、堂々と対するローゼマイン様を見て、上位者に敬意を払うことと卑屈になることは違うと教えられたのです」

「最初の頃は、ヴェローニカ派の子供達を平等に扱うローゼマイン様に不満もございました。どうしてライゼガングの我々を優先してくださらないのかと。ですが、親や門閥ではなく、私達自身の努力と成果で判断される。今ではそれがどれだけ稀有なことかわかります。たとえ実家が落ちぶれても、私自身が誠意をもって仕事に励めば、上位者にその成果を取られることなく、評価されるということです」

「ブリュンヒルデが第二夫人になりましたが、今度はその子をローゼマイン様の代わりにライゼガングが次期アウブに押すつもりですか?それは自派閥を優遇していたヴェローニカ様とどう違うのです?ライゼガングが血縁だという理由だけで他貴族より優遇される立場となれば、今度はライゼガングが他貴族家から排そうとされる」

「ライゼガングを無視することなど」

「土地に魔力が満ちれば他領の生産は増えます。本など他の収入があれば、余所から購入する事も出来る。いつまでも、ライゼガングが特別でいられる訳ではありません」

 下位領地として、上位者の都合を押しつけられることに慣れきっている古老達旧世代と、王族相手でも対等にわたりあう様を見てきたローゼマインの世代の差は埋めがたいものになっていた。

 フェルディナンドはヴェローニカに疎まれていたので、エーレンフェストの領主候補生でありながら重職にはついていなかった。

 それでも、貴族院にいた頃、領主コース・文官コース・騎士コースの三つで最優秀を獲り続け、貴族院では生徒だけでなく教師からも一目おかれていた。

 フェシュピールでは王族の姫にすら演奏を望まれ、上位領地であるダンケルフェルガーからは『魔王』と呼ばれてディッターを請われた。実際、戦いとなればフェルディナンドの独壇場で、下位領地であるエーレンフェストの領主候補生が、全領地の騎士見習いを見降ろして立っているのを目の当たりにした時、フェルディナンドと同時期に騎士コースを取っていた者は感無量の思いだった。

 ローゼマインの提案で行ったフェルディナンドのコンサートで女性陣に根強い人気なのは知られていたが、ヴェローニカの権勢が強く、おおっぴらに近づけなかった頃でも騎士達や文官の間でもフェルディナンドは憧れの対象だった。

 ダンケルフェルガーからディッターで素材を巻きあげ、自作した魔術具や回復薬をドレヴァンヒェルに高値で売り捌く。

 ディッターに誘うダンケルフェルガーや、レシピを譲って欲しいというドレヴァンヒェルに対して、素気無く断るフェルディナンドに気が遠くなりながらも爽快な気分も味わったのだ。

 上領地である彼らが、下位領地の領主候補生相手に、『やれ』『譲れ』と命じるのではなく、フェルディナンドに何度も頼むのだ。そしてフェルディナンドは彼らと対等に会話をする。だが、思い知った。同じ目線で対等に語れるのはフェルディナンドだけなのだと、彼らが認めるのはフェルディナンドであって、エーレンフェストではないのだと。

 そしてフェルディナンドの弟子という触れ込みのローゼマインが現れる。

 彼等は『聖女』という肩書ではなく、『フェルディナンドが手ずから教育した子供』に反応した。

 そしてローゼマインの世代は、不当に貶められることなく、相手が誰であれ堂々と胸をはって自身の意見を主張することを知った世代だ。

 だからこそ、エーレンフェストの外に意識を向けない大人達に苛立つ。

 エーレンフェスト内ではどれだけ気炎を吐いて勇ましいことを言っても、上位領地を前にすれば腰を屈めて口を閉ざし、視線を伏せる。

 守るためには忍従するしかなかったのだと言う古老や大人達に対して、若手や子供達は本当にそうなのかと懐疑的だ。

 なまじ、フェルディナンドやローゼマインという手本があったからことさらに、貴族院の順位を上げることは、もっと前から本気で取り組めば可能だったはずだと思ってしまう。

 それをしなかったのは、あなた達の怠慢なのではないか?と若手達は年長者を責める。

 フェルディナンドやユストクス、エックハルトが提供した資料や、ローゼマインの準備した参考書が非常に役に立ったことは事実だ。

 それでも、自分達とてやればできるのだと、機会を与えられれば応えることができるという自信をもつようになっていた。

 フェルディナンドはヴェローニカに冷遇されていた。私生児と蔑まれ、無能な者が領主候補生を名乗るなど許さぬと言いながら、フェルディナンドが優秀さを示せば示すほど、ジルヴェスターを害してアウブ簒奪を狙っていると執拗に攻撃する様は、エーレンフェストの貴族からみても醜悪だった。

 身を守るためと神殿に追いやりながら、冬の主が現れれば騎士団に協力という名目で討伐に向かわせ、ジルヴェスターに呼ばれればヴェローニカに隠れて領主の補佐を務めた。

 エーレンフェストの貴族にとって、それはいつしか当たり前だったが、憤慨して抗議したのがローゼマインだ。

 フェルディナンドをこき使い過ぎだと、城の文官はどれだけ無能なのかと、神殿が忌避されていたことを逆手にとってフェルディナンドを庇っていた。

 それでようやく皆気付いたのだ。今までフェルディナンドが何も言わないから、仕事を頼むのに何も思わなかったが、戻ってきた仕事量で彼が抱えていたのがどれほどか。

 そして、ローゼマインが襲撃を受けて毒に倒れ、ユレーヴェに浸かっていた二年、城の者達は今までの仕事にローゼマインの関わっていた事業関係までフェルディナンドにふった。助かったと気楽に笑う領主の側近である文官達に向けるユストクスやエックハルトの視線は、それは厳しいものだった。

 実際、フェルディナンドの指示を受けていた現場の文官達は、フェルディナンドの抱える仕事量と顔色の悪さに申し訳なく思いながらも、彼の決済がなければ自分達の仕事が進まないので、神殿に籠るのだけはやめてくれと縋る思いだった。

 ヴェローニカを排除しても、というより彼女の派閥に属していた者を遠ざけたせいで、余計にフェルディナンドに頼る体制が出来ていた。

 だから、フェルディナンドがエーレンフェストを出ると、領内がごたつく。ヴェローニカに属していた者達は今までの扱いから報復を恐れ、ヴェローニカを憚って知らぬふりをしてきた貴族達の口を封じるフェルディナンドがいないと、貴族達が自分の思惑で勝手に動き出し、ジルヴェスターとフロレンツィアでは御しきれなかった。

 そして、完全に彼の助力が無くなると、現場は誰の指示で動けばいいか混乱した。実際、ローゼマインの起こす騒動で貴族院からは突発事項が次々と送られてきて、城下でも他領から訪れる者達との取引についての問い合わせに追われた。

 ギルド長達も責任を全て負わされてはたまらないから、他領との、特に貴族がらみの商談はお伺いをたてていた。

 その取引内容に誰が了承を出すのかで右往左往、来年の取引はどうなるのか、どの程度増やすのか、減らすのか、何を重点的に売っていくのか、大枠を誰に問い合わせれば良いのか、下級文官は盥回しにされ、上級文官は自分の担当ではない書類を持ってこられ、段取りが悪くて誰もが苛々した。

 今までは、フェルディナンドに任せればそれで全て終わった事案だったからだ。

 下位領地だから侮られるのではない。これといった産業がないから貧しいのではない。

 力をつければいいのだ。産業が無いなら造ればいいのだ。劣っているのなら努力をすればいいのだ。

 それをフェルディナンドとローゼマインから教わった者達は、すでにエーレンフェストを外の視点から見ている。

 そして相変わらず内輪で揉める旧世代の様を冷めた目で見ている若手達は、エーレンフェストという領地に見切りをつけ始めていた。

 旧ヴェローニカ派に属していた者達も割れていた。

 ゲオルギーネに名捧げをしていた者達は強制的に高見に登った。

 そのせいで、エーレンフェストに属しながら、ゲオルギーネに仕えていた者達が明らかになってしまった。

 表向き、一族を根絶やしにはしないと、選別と契約、名捧げを行うことで助命することをジルヴェスターは約束したが、中枢から遠ざけられ冷遇されることは間違いない。

 だが、親がゲオルギーネに名捧げをしていたにも関わらず、アウブ・アレキサンドリアとなったローゼマインの側近として取り立てられた者がいる。

 貴族院で名捧げをして、親を振り捨てたヴェローニカ派の子供達は、全員ローゼマインの庇護と信頼を得て側近として取り立てられることが決まっている。

 そして彼等は、自分達を利用しようとした親や親族、派閥にいた者達を完全に拒絶した。

 あの頃、アウブになる気はないと宣言し、虚弱だったローゼマインに属することにメリットを見いださなかった貴族は存外いる。

 直接知っている同世代の方が、ローゼマインの資質に信頼を寄せ、自分も信頼されたいと願ったのだ。

 それでも、ローゼマインの立場や虚弱さからローゼマイン以外を選ぶ者が多かった。

 身分が低い者は上の者に振り回される。だからこそ、なるべく上位の庇護を得たいと思うのは当然で、ヴェローニカ派の子供にとって、ローゼマインの情報が少なすぎた。

 だが、その潮の目も完全に逆流した。一番立場が弱かったはずのローゼマインは大領地のアウブとなり、彼女への名捧げは、贖罪や罰の減刑のためではなく信頼の証として扱われ、身内の罪を問われることなく、自身の能力によって認められ、側近として遇される。

 次期領主に一番近いと言われていたヴィルフリートはアウブではなく、ギーベとなることが決定し、バルトルトの裏切りによって再びヴェローニカ派への警戒とあたりがきつくなった。

 もちろんバルトルトを責める者もいたが、今更だろうと吐き捨てた。「守る」と言いながら、ヴィルフリートの言葉のなんと軽いことか。

 彼は『守る』ことの重みをしらぬ。理不尽に耐えるしかない下位の者を気遣うことをしらぬ。

 確かに、アーレンスバッハが攻めて来たとき、彼はエーレンフェストの防衛に立った。だが、それは領主一族なら礎を、街を守るのは当然の責務ではないか。

 ローゼマイン様を見てみろ、自分を守る力のない平民を、孤児達を守ろうとしていた。

 普通であれば、顧みられることなく、見捨てられる弱者を守ろうとしていた。それはローゼマイン様が、彼等を守ると約束したからだ。

 契約ですらない、たわいもない口約束に過ぎぬのに。

 孤児達はローゼマイン様が守ってくださると信じていたぞ。お前達は信じているのか?ヴィルフリート様が我々を守ってくださると。自分の立場を不利にしても、我々を切り捨てないと本心から言えるのか!

 その訴えに、誰もが口を閉ざした。

 薄々気付いてはいたのだ。どうしてローゼマインの側近達がヴィルフリート達を見る視線が厳しいのか。なぜローゼマインが婚約者であるヴィルフリートに関心がなく、頼りにしているのがフェルディナンドなのか。

 ローゼマインを本当の意味で守っていたのは、貴族院で側に居ないフェルディナンドだった。本に夢中だったローゼマインに呆れるばかりのヴィルフリートに対して、ご褒美だと本を差し出しつつローゼマインの暴走を押さえていたのはフェルディナンドだった。

 フェルディナンドからの素っ気ない『大変結構』に、ローゼマインは嬉しそうに笑っていた。

 何よりも誰よりも大事だと、フェルディナンドを助けに飛び出したローゼマイン。

 だが同時に、エーレンフェストに残していた者達のことも忘れていなかった。

 ヴィルフリートとの婚約解消だけでなく、王族との養子縁組に求婚されていたにもかかわらず、ローゼマインを得るためにすべてを排除したフェルディナンド。

「なぜ私の時は助けてくれなかったのかと責めたのです。ローゼマイン様は何も悪くないのに、八つ当たりだったのに、間に合わなくてごめんと。次はちゃんと助けるからと言ってくださった。今度こそ信じます。決して私達の信頼を裏切ったりしないと」

 ローゼマインに対する孤児でもある灰色達のそれは、確かに信仰にも似ていた。

 信頼を捧げれば信頼で返してくださる方だと、知っていたはずなのに。

 今更、アレキサンドリアに行きたいと、助けてくれとは言えない。マティアス、ラウレンツらはヴィルフリートがアウブでなくなるからローゼマイン様に鞍替えかと、許さないだろう。

 選択の機会はあった。お前達はエーレンフェストで生きることを選んだのだろうと、ローデリヒは言った。

 ローゼマイン様は、わたしの名捧げに対して、ふさわしい主となれるように勤めると言ってくださった。

 お前達はエーレンフェストでの境遇が不満だから、逃げたいだけだろうと。

「わたくし達はローゼマイン様に一生仕えることを選び、あなたがたはエーレンフェストで生きる事を選んだのですから、この地で頑張ってください」

 今更のようにローゼマインへの取り次ぎや、ジルヴェスター達アウブ一族へのとりなしを頼む親族に対して、グレーティアやローデリヒがとったのは拒絶を通り越した断絶。

 二度と関わらないという意思で、ローゼマインにも気にかける価値はないから捨て置いて構わないと言いきった。

 旧アーレンスバッハに対しての警戒をとけないのに、身内に邪魔されてはかなわない。

 都合の良い時だけ『わが子』『我らが誉れ』と呼び、情に訴えるなど見苦しいと。

 名を捧げているという理由だけでなく、ローゼマインの側近達は揺るがないことでも特徴的だった。

 普通であれば、周囲の囁きは気になるものだ。身内がヴェローニカ派だったということは、ゲオルギーネともつながりがあって当然。ローゼマインの心証が悪くなれば、それだけで立場が危うくなる。ローゼマインの気持ち一つ、ならば悪意をローゼマインに聞かせればどうなるかと、嫌な笑い方をした大人達に彼等は冷笑で答えた。

 ローゼマイン様であれフェルディナンド様であれ、我等の言葉を聞かずに判断するなどあり得ない。

 いまだ執務室に席のないあなたがたから受ける幾千の称賛の言葉など、フェルディナンド様からいただく「大変結構」の一言に到底及ばない。

 あなた方に味方されずとも、別に何ら困らない。

「ユストクス様から言われれば慌てもするけれど」

「いや、あの方に言われたのなら、何か考えがあるのだろうと思っただろう」

「確かに」

 フェルディナンドに敵対すれば、それこそ容赦なく排除される未来しか見えない。

 ローゼマインの庇護を失うのは恐ろしい。だが、誠実に職務を勤める限り、ローゼマイン様が何の理由もなく我等を切り捨てることはないと、未成年の者達は突っぱねた。

 ローゼマインがエーレンフェストを出た後、残された側近達は領主候補生だけでなくアウブの側近たちも参加しての争奪戦だった。

 皆、ローゼマインについていこうと必死だったせいで、恐ろしく優秀だった。

 武官が文官を兼ねる、文官が側仕えを兼ねるなど当たり前、作業の分担だけでなく処理能力も高い。

 ローゼマインの側近ならば一人で出来る仕事がヴィルフリートやシャルロッテの側近では三人がかり、三日で終わる段取りが十日かかる。主力となる成人組と未成年でも名捧げ組が移動したせいで、逆に残されているローゼマインの側近達の優秀ぶりが際立った。

 彼らにすれば出来て当然、出来ないのがおかしいだろうという認識だが、成人前から大金貨で取引するような事業など普通やらない。年間予算の組み立てやら、Aプランが駄目ならBプランと何通りものプランを用意する段取りなど普通考えない。

 ローゼマインは不測の事態を起こすのが当然、関わる人間は貴族も平民も関係なく、フェルディナンドは年齢や家格に遠慮することなく割り振った仕事には駄目出しをする。必死で食らいついて彼に一年鍛えられ(それに耐え)れば、誰でも優秀になれるとは誇張ではなく事実だ。

 残された者達にすれば、フェルディナンドに比べればハルトムートは優しかったし、ヴィルフリートやシャルロッテ、メルヒオールやその側近などの仕事はぬるいという感想にしかならない。

 ローゼマインが貴族院のあいだだけと護衛騎士に任じたテオドールは、別の領主候補生に仕えることを拒否した。

 そして、「私はギーベ・キルンベルガに仕えたいとローゼマイン様にも言いました。領主候補生に仕える名誉を断るとは考えず、その夢を応援したいとローゼマイン様は言ってくださった。だから、貴族院に通う間だけ、自分の護衛をしながら学べば良いと。そんな風に言ってくださる方が他にいると思うほうが間違っているのでしょう」と皮肉げな顔を見せた。

 ローゼマイン様は下位の者の話を聞いてくださる。希望を確認してくださる。嫌々では効率も周囲との雰囲気も悪くなるから、無理強いをしたくないと。

「そのように配慮してくださる方がどれだけ稀なのか、ようやく身に染みました」

 シャルロッテやヴィルフリート達も強制したつもりはない。だが、下位の者からすれば誰を主に選ぶのかと迫られているのも同然だった。

 ローゼマインに近しかった者は、アレキサンドリアの情報を得るためというより、アレキサンドリアに移る伝手を探すのが主目的でアレキサンドリアの者達にお茶会や面談をも申し込んで連絡をとる。

 成人すれば、婚姻による移動が許される五年後なら、自分の意思で領を移れると。

 領主候補生に仕えることを拒否したテオドールを、トラウゴットは悔しげに見つめていた。

 トラウゴットに対する一族の視線は厳しいままだった。

 護衛騎士として心得がなっていない、自ら辞任しろと怒ったリヒャルダから事情を聴いたボニファティウスも激怒した。

 ボニファティウスだけでなく、カルステッド家も冷淡な眼差しでトラウゴットを見降ろし、トラウゴットの父も魔力圧縮を教えてもらえると説明しても喜ぶどころか「恥さらしが」と吐き捨てた。

 もともと、トラウゴットはカルステッド家の息子達が嫌いだった。

 神殿に入ったフェルディナンド以外に仕える気はないと言い続けたエックハルトは変わり者と呼ばれていたが、ヴェローニカを排除し、フェルディナンドが還俗して表舞台に出るようになってからは忠臣と称えられた。フェルディナンドがディートリンデの婚約者からアウブ・アレキサンドリアでローゼマインの婚約者に変わり、星結び前から新領で確固たる地位を築きつつある現在では、エーレンフェストだけでなく旧アーレンスバッハのアレキサンドリアでもその評価は高まるのと同じく、フェルディナンドが危急の時はいち早くローゼマインに知らせて救出のためにアーレンスバッハに攻め入り、ランツェナーヴェ掃討でも武功をあげ、これこそ護衛騎士の鏡と称賛を受けている。

 貴族院に入学当初、さほど目立つ成績ではなかったコルネリウスはローゼマインが領主候補生となったあたりから一気に成績を伸ばし、魔力圧縮を教えられてからは特にボニファティウスの孫の中で一番出来が良いと言われるようになった。

 縁故でローゼマインの護衛騎士となったにも関わらず、今ではアウブ・アレキサンドリアの信頼あつい騎士と目され、周囲の者達から尊重されている。

 彼らよりも魔力圧縮を教えられれば自分の方が上だと、そう思っていたのに、評価は変わるどころか解任に近い辞任だと、周囲から蔑むような目でみられるようになった。

 いや、コルネリウスからは無表情のまま「浅慮がすぎる」と一言で断じられ、エックハルトからは「ローゼマインは言葉づかいすら出来ていない孤児や、卒業が危ぶまれたアンゲリカですら見捨てず教育を施したお人よしだぞ。その彼女に見捨てられるとは、どれだけ無能だったのだ」と軽蔑すらにじんだ目で見下された。

「再教育は一族で行い、二度とこちらに寄こすなと言われてしまいました。くれぐれも神殿には送ってくれるな、自分にもフェルディナンド様にもトラウゴットに割く時間などないと」

「さもありなん。フェルディナンド様も周囲に解任を望まれるような無能など、どうでも良いとおっしゃった。これで罰だと神殿送りにでもしたら、手間をかけさせるなと激怒される」

 頬に手を当てて溜息をつくリヒャルダに、首を振りながらカルステッドが答える。

 その言葉を聞かされたトラウゴットの父親は「この愚か者が!」と怒鳴りつけた。

 自分はただ、おじい様のように誰にも仕えることなく、騎士団長として騎士団を率いて魔獣を討伐する、領地を守る騎士になりたいのだと訴えれば、エックハルトとコルネリウスだけでなくランプレヒトからも呆れた目で見られた。

 領主一族であり領主候補生だったおじい様と、上級貴族の自分が同じになれるなど、不遜にも程があると。

「それだけの素質があれば、ローゼマインのように領主の養子に望まれている」

 とランプレヒトが本気かと尋ねる。

「誰にも仕えぬというが、おじい様は領主一族として、領主候補としてアウブの補佐をされているぞ。何を心得違いをしているのか」

 呆れて物も言えないとばかりにコルネリウスが首を振った。

「これではローゼマインが返品してくるはずだ。護衛騎士としての心得がまるでなっていない」

「トラウゴットを解任しなかったのは、彼を推薦したリヒャルダや騎士団長である父上、ボニファティウス様の失点になるのを心配したからですよ」

「まったく……」

 ボニファティウスはコルネリウスからの報告に喜んでいいのかと複雑な顔をしたが、それ以上に恥をかかせたと大音声でトラウゴットを叱責した。

 今までの態度を苦々しく思っていたローゼマインの側近達は完全にトラウゴットと関わるのを避けたが、あのアンゲリカですら見捨てなかったローゼマインが見切りを付けたということで、トラウゴットは側近としての能力も資質もないと他者から判断された。

 そして、ローゼマイン様は側近を家格や縁故ではなく、本人の能力で選ばれるのだと、ローゼマインの側近に選ばれるということは、選抜されるほどに優秀なのだという認識も広がった。

 実際は、ローゼマインに仕えるなら否が応でも鍛えられて優秀になるというのが正しいのだが。

そして、アンゲリカだ。中級の出でありながらボニファティウスの弟子として気に入られ、孫の嫁にと望まれた。

 エックハルトがフェルディナンドについてアーレンスバッハに行ったせいで婚約は解消となり、トラウゴットしか星結びの相手がいなかったのに、本人は難色を示した。

 トラウゴットにすれば卒業を危ぶまれたアンゲリカを、仕方なくもらってやるという気持ちだった。これでボニファティウスの態度が少しでも軟化すればとも思ったし、ローゼマインにとりなしを頼む機会も出来るのではないかと。

 だが、トラウゴットとの星結びを辞退したがったのはアンゲリカの親族もだ。彼女に社交が出来るとは思えない、とても務まらないと。

 それを聞いて、良く分かっているじゃないか、自分の相手に相応しくないと本人よりも周囲の方が理解していると思った。

それでも、他に相手がいないのだから、自分しかないだろうと思っていたのに、ローゼマインがアウブ・アレキサンドリアとなり、フェルディナンドと婚約したせいで、アンゲリカの婚約者としてエックハルトが再浮上した。

 そして、今度はエルヴィーラだけでなくアンゲリカの両親も良縁と喜び、これで二人が星結び出来なければ、お互い次の相手は見つからない。絶対に星結びまでこぎつけてみせると話し合っているのを聞いてしまった。

「あの子に社交は無理だと、エックハルト様は理解してくださっていますから」

「ええ、それにあの子もフェルディナンド様が第一で、ローゼマインが第一なアンゲリカと理解しあえますもの」

「ですが、本当に星結びできるでしょうか?」

「大丈夫です。ローゼマイン様の卒業に合わせてフェルディナンド様とローゼマイン様の星結びです。フェルディナンド様の御子に仕える子供をもうけなさいと言えば、簡単に了承します」

「それは……」

 口元を押さえて苦笑するアンゲリカの両親にエルヴィーラがすました顔で言う。

「フェルディナンド様とローゼマイン様の御子であれば、その魔力量は膨大でしょうし、あの二人に教育されればツェント最有力候補でしょう。エックハルトは一人なのですから、フェルディナンド様とその御子を両方守れません。ならば、御子に仕える自分の娘なり息子なりもうけなくてはならないのは当然でしょう」

 側仕え家系の中で、唯一の武官だったアンゲリカ。その上成績が低空すぎて進級も卒業も危ぶまれていたせいで、一族ではどうしてこのような娘がという嘆く者も多かった。

 それなのにローゼマインは見捨てず、騎士コースの者達を総動員する勢いでアンゲリカの成績をあげ、思考が足りないアンゲリカのために知能担当の魔剣を与えてくれた。

本当に領主候補生の護衛に任じられたと聞いた時、いつ叱責の呼び出しがくるかと、戦々恐々としていたのに、アンゲリカの座学の成績に困ったことと言いながらローゼマインはアンゲリカの長所を認め、大事な護衛騎士だと信頼を示してくれた。あれでアンゲリカを見る周囲の目がどれだけ変わったか。

あのアンゲリカが卒業できたというだけでなく、優秀生として卒業式で剣舞を披露するなど想像できなかったことだ。今までアンゲリカを認めなかった一族の者達やアンゲリカを馬鹿にしていた貴族達がアンゲリカを優秀な護衛騎士として認めるようになった。

 どれだけ感謝しても、し足りないのだ。上級貴族であり、領主一族に連なるエックハルトとの星結びは分不相当と思うし、恐れ多いと考えてしまうのだが、逆にフェルディナンド第一主義の彼でないと、あのアンゲリカを娶るのは無理だと思う。恐ろしく似たもの夫婦になりそうだとエルヴィーラは笑うが。

 少なくとも、アンゲリカより弱く、ローゼマイン様を侮る態度を隠さないトラウゴットとの星結びは早晩破綻するのが目に見えている。

 確かにローゼマイン様は虚弱だが、そのせいで周囲の人間を動かすのに長けている。自ら剣を振るうことは出来ずとも、騎士達に加護を与え、効果的に魔術具を使え、守られながら味方に対して回復と敵から守る事が出来る。

 少なくともトラウゴットごときが軽んじるなど、身の程をわきまえないにも程があると、リーゼレータから経緯を聞いたアンゲリカの両親も恩人であるローゼマインに対する態度や言動に腹を立てていたのだ。

 アンゲリカをトラウゴットは内心見下していたが、その両親からトラウゴットが軽蔑され、エックハルトとの復縁を喜ばれている事実を知って愕然とし、屈辱を覚えてもまだ正式な婚約者ではなかったから、ただ拳を握りしめて耐えるしかなかった。

 認められたいと強さを望み、そのために魔力圧縮を望んだ。

 強さを証明するため、貴族院でのディッターで先頭をきって挑めば、周りから連携を考えないと顔を顰められる。

 早さを競うディッターなのだから圧倒的な力で敵を倒すべきだと言えば、そんな台詞はフェルディナンド様程の魔力と策が立てられるようになってから言えと上級生が鼻を鳴らす。

 トラウゴットが頑張れば頑張るほど周りは距離を置き、空回りする。

 成績をあげても、アンゲリカやコルネリウスの方が上だという評価は覆らない。

 窮地に陥った主を助け、戦場に付き従い、ランツェナーヴェや中央の騎士団と実際に戦ったエックハルトやコルネリウスは騎士の誉、流石はフェルディナンド様とローゼマイン様の信任される護衛騎士とダンケルフェルガーの武官だけでなく、参戦できなかった文官からも称賛される。

 エーレンフェストの防衛をしていたランプレヒトはその分、割を食った形になったが、エーレンフェストの騎士たちの評価は悪くない。

 その点、成人していないトラウゴットは防衛戦でも重要な場所を任されることはなく、これといった成果を上げる事が出来ていない。

 それこそ、迎撃用シュミルの方が戦果としては華々しい。

 そして、ローゼマインから切り捨てられたという評価のトラウゴットは、エーレンフェストだけでなく、ダンケルフェルガーの方がより低い評価だった。

 自分の元を離れたブリギッテや灰色神官ですら、その後のことを気にかけるローゼマインが、二度と関わりたくないとばかりに、罰などという理由で自分の領域である神殿には絶対に寄こすなというのだから、どれだけ側近として相応しくなかったのかと、身内に甘いことを知っている者は眉をひそめる。

 昔、ローゼマインは印刷業を広めるのに城に勤める上級文官を役立たずと切って捨てた。

 事実、あの後彼等が任された印刷業はことごとく躓いている。

 イルクナーやハルデンツェルは、領主主導の事業ならばできる限り協力したいが、今は自分達も手一杯で余所に回す余裕がないと指導できる職人の派遣には消極的だった。

 利益がでると聞いたから、領主主導の事業だから導入しようとする土地と、領民のためにも絶対成功させようと挑んだイルクナーやハルデンツェルでは取り組み方が違うし、ローゼマインには恩義があったし事業の利益を考えてもくれたので協力するのはやぶさかではなかったが、アウブの権威を振りかざす城の文官にはなんの恩義もないと、遠回しに助力を避けていた。

 そして、ジルヴェスターの近くで働いていた城の上級文官は今まで職人と関わってきていないので、彼等がこれでよしとした金属活字では精度が足らず印刷出来ない。印刷できないことを職人達のせいにするから、これで良いと言ったのはあんた達じゃないかと、口にしない不満がたまり、引き受けようとする工房が減っていった。紙も基本の配合は教えられるが、土地独自の紙を研究するにはどうすれば良いのか教える人間がいない。

 城の上級文官は結果を求め、根気よく、少しずつ配合を変えながら比べるということが理解できず、どうしてそんな面倒なことをするのかと、最初から最適解を求めるのだから、上手くいくはずが無い。

 エーレンフェストで印刷担当の上級文官といえば、肩書きだけの無能を意味する。

 逆に神殿のローゼマイン工房の灰色神官や孤児達の方が立派に本を生産しているので、ますますローゼマインの人物鑑定は正しいと言われてしまった。

 だからトラウゴットの自分の功にはやる戦い方は、周囲の者からローゼマイン様が辞任させるのも当然と言われる。

 同じ上級貴族という認識で虚弱と馬鹿にしてきたトウラゴットは、周囲の評価は違うと教えられてもその事が理解できていなかった。

 そして、ローゼマインがアーレンスバッハの礎を奪い、ランツェナーヴェを退け、グルトリスハイトを授ける女神の化身と周知されてアウブ・アレキサンドリアとしてエーレンフェストを出れば、領主一族に連なるボニファティウスの武官の一門にあって、なんという体たらくかと周囲の失望にさらされて、ようやく理解したのだ。

 魔力が多いのは知っていた。だが、女神を降臨させる程とは知らなかった。グルトリスハイトを授ける程だとは知らなかったのだと訴えても、コルネリウスは虚弱だった頃から真摯に仕えていた、エックハルトはフェルディナンドが冷遇されていても変わらぬ忠誠を捧げていた、ランプレヒトとて失点のあるヴィルフリートに腐ることなく仕えているではないかと言われた。

 子供のやる気を出すために、才能があるというほめ言葉など珍しくもないこと、トウラゴットの両親がカルステッド夫妻への対抗心から競争心を煽っていたこと、何よりも自分のほうが優秀だと思っていたコルネリウスが、貴族院入学当初の頃は手を抜いていたこと。

 騎士団で見習い達が特訓を受けるようになって、失笑とともに年長者から教えられたことは、トウラゴットは恥ずかしさにいたたまれなくなった。

 現状を変えるために、ローゼマインに詫びて許しを請いたくても、彼女はすでに他領のアウブで、護衛騎士に阻まれて近づくことすら出来ない。

 ただ、自分はおじい様のようになりたかっただけだ。おじい様に、父上に褒められたかったのだ。こんな惨めな思いをしたかった訳ではないと、トラウゴットは貴族院で一人俯くしか出来なかった。

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