鳴らぬ綾鼓 背中合わせに絡める指先3名探偵コナン
新一×志保
会議室の空気は、緊張をはらみ独特の雰囲気になっていた。
スピーカーからの音を聞き漏らすまいと、目暮達はスピーカーに耳をそばだて、50人近い警察官たちは声をひそめている。名前や身元確認を終えた客達は帰っても良いと言われたが、鈴木系列のファルシアの関係者は鈴木史郎の安否にかかわることだけに帰れず、そのまま小会議室の方で待機している。
ファルシアだけでなく、他の二社に関係する人間も全員ではないが待機しており、サー・ウォーリックことブライアン・ウォーリックも志保の無事を確認するまではと、ホテルに戻らずそのまま会議室の隅で待機していた。
長机には捜査員達のノートパソコンや、通信機器などが置かれているが、人数に対して声や音は少ない。
「失礼、目暮警部」
「これはこれは、風見警部補。どうしてここに」
言外に呼んではいないが、というニュアンスを込めて風見の顔を見る。
「風見さん」
「工藤君に依頼された機材とスタッフを連れてきました」
「工藤君ですと?」
名前を呼んだ新一に風見が視線を向けて言う。
新一は風見に何も依頼はしていない。となると降谷からだろうと察して、とっさに自分がお願いしたのだと目暮に取り繕った。
「警視庁としても、宮野さんには借りがありますから」
「えっ?」
「高木刑事を通して、随分と無理をきいてもらっていると」
視線を受けて、高木が「そうなんです」と眉尻を下げて頭を掻く。
「それなのに、神奈川県警の馬鹿が宮野さんに暴言をはいたとか。この際、ここで挽回につとめないと彼女に会わせる顔がない」
「どういうことです?風見さん?」
口調こそ柔らかいものの目つきの座った表情は、安室の顔が外れ、降谷の顔がのぞいている。それに風見の声も、いささか上ずった。
「神奈川県警の管内で、死亡事故が発生しました。もともと心臓疾患のあった58才男性で、病死と判断されたのですが、再婚相手が15歳下で彼女の弟に借金があったことから殺人を疑った刑事が宮野さんに血液の分析を依頼したんです。血液から検出されたのは狭心症の薬に用いられる一硝酸イソソルビドだと彼女は報告したのですが、その刑事は納得せず、優秀だと聞いたから依頼したのにとんだ評判倒れ、所詮子供の遊びかと言い放ったそうで」
「何だって?」
「それを聞いて、彼女が『あなたの妄想を肯定するために検査結果を偽装しろってことかしら?他殺かどうかは私の判断するところではないわ。ただ、彼の血液からわかるのは、一硝酸イソソルビドだと言ってるのよ』と。一硝酸イソソルビドは狭心症の発作時に飲む薬ではなく、発作がおこらないように症状をコントロールするために飲む薬で、狭心症を患っていたのは間違いないそうです」
「逆に言えば、発作をおこしたのなら飲むのは他の薬だと?」
「即効性ではニトログリセリン、舌下投与で硝酸イソソルビドあたりだそうで」
「…その刑事、馬鹿すぎる」
顔を掌で覆った降谷に、風見も苦虫を噛んだような表情になった。
検査結果について志保に文句を言うまえに、一硝酸イソソルビドの薬以外に医者からニトログリセリンや硝酸イソソルビドの薬が処方されていなかったか、処方されていたなら普段所持していなかったのかを調べるのが先だろうに。
「宮野は、見落としはまずしない。検査結果で無い物を有るとは言わない。完全にその刑事、宮野の地雷を踏みぬいている」
仕事に対して、志保のプライドは、それはもうとんでもなく高い。その彼女に『子供の御遊び』と言い放つとは、その刑事どれだけ度胸があるのか。
「ええ、宮野さんはきちんと報告してくれているのに、それを理解していない。そんな馬鹿のせいで警察に対する心証が悪くなっては困りますので、信頼回復に勤めようと」
直接の部下ではないとは言え、相変わらず後始末に奔走する苦労性だなと、どこか同情的な新一の視線が風見には痛い。
実際は、公安も志保の世話になっているのだ。
先々月、二課が追っていた商社の社長が不審死を遂げた。
彼の会社が取り扱う工場用の工作機械が安全保障貿易管理の項目に引っかかる可能性があり、公安がマークしていた人物で、彼の所持するパソコン等のデータを解析するとともに、安全保障貿易管理にひっかかる取引相手のデータを抜いて二課に渡したかった。
時間をかければ勿論可能だったが、あまり社長の私物であるパソコンを公安で長期押さえたままでは、何かあったと知らせるようなものだし、正規ルートで調査を依頼すれば、やはり二課や警視庁に漏れる可能性が高い。
そこで、迷いはしたものの降谷が志保を仲介してくれたのだ。
本来、彼女には一般人として、普通の高校生として生活をしてほしいと、降谷だけでなく風見も思っているが、志保本人は贖罪の機会を求めていて、自分の知識が役に立つならと言ってくれるので、それに甘えた形になった。
その時、風見が志保と待ち合わせたのは、最近できたアメリカ資本の外資ホテルのラウンジだ。
値段もSSクラスなホテルで、安いツアー客の団体などはおらず、落ち着いた雰囲気のラウンジの喫茶エリアもテーブルと席がゆったりとしており、隣の客との間も大きくとって、視線が合わない様に配置されている。
ライトベージュのスーツに薄く化粧をし、黒のビジネスバックを持った志保は、とても高校生に見えない。
どこから見てもキャリアの高い社会人に見え、外人やビジネスマンの商談が多いラウンジでは、そんな志保に対して風見が丁寧な対応をしても浮かない。
最初のロックはパスワードの解除が公安で可能だったのだが、ドキュメントの一部とネット上のドライブに保存されたデータが解除・解析出来ていない。
解析が可能かどうか、と風見が渡したノートパソコンを志保は開いて電源を入れる。
風見の前で志保は持参してきたUSBメモリを差すと、画面に視線を走らせながら、彼女の指が物凄い勢いでキーボードを叩きはじめた。
この手のホテルだとラウンジの従業員も客の邪魔をしないように対応するので、身をかがめて風見に注文を尋ね、そっとコーヒーを二つテーブルに置いて下がった。
5分ほど過ぎただろうか、少し冷めたコーヒーに手を伸ばし、志保が一口飲む。
「多分、帳簿だと思うけど」
そう言って、風見に画面を向けると、そこには確かに元帳に見えるページが映っている。「はぁあ?」
「流石に銀行みたいな3回ミスったらロックがかかるような設定だと怖くて使えないけど、そこまで厳しくないから」
当たり前のように言う志保に風見は言葉に詰まった。
薬学と化学が専門だが、分析照合能力が桁外れだと降谷から聞いていたが、これほどとは。
それなのに、本人がそのことを自覚していない。
無茶ぶりだと言いながら、出来ないとは言わない。そして、彼女が出来ないと言わないなら、出来る、と工藤新一だけでなく、降谷も保証する。
志保は風見に言われて帳簿と住所録に当たるデータとメールの情報だけ抜き、パソコンを閉じた。
「大変ね」
「そうですね、もともと公安の秘密主義を警視庁側が苦々しく思っていたところに、黒の組織との件では蚊帳の外でしたから。公安が顔を出せば、なにかと噛みつかれます」
黒の組織に関する情報は一斉検挙当日になっても警視庁には下りなかったことを、随分と根にもたれている。
今回の件も、強引に公安の事案だと二課を封じれば、一層不満が募るだろう。
だからこそ、贈賄に関しては二課に譲ってやれと上から指示が出たのだ。
「必要なら使って」
宛名と金額が空白になっている領収書には「A.I.Laboratory」と書かれている。
「これは?」
「安心して、ちゃんと法人登記している実在のものよ。請求書が必要ならFAXをちょうだい。内容を合わせるわ」
博士の発明した物や特許を管理する会社として、工藤優作を代表取締役にして登記した。
優秀な発明もあるのだがガラクタも量産するので、失敗作を経費として申請しないと税金が馬鹿にならないと哀が家計簿をつけていた頃に頭を痛め、優作氏にお願いして阿笠博士の自宅住所で法人の設立届を出したのだ。
阿笠博士を代表にしなかったのは、人の良い博士では、特許や発明を簡単に人にやってしまうと思ったからだった。
今では、志保が請け負う警察がらみの仕事も、「A.I.Laboratory」で請求書と領収書を切るようにしている。
「助かります」
お役所は書類のチェックがうるさい。
10万以上だと相見積もり添付と出納が言ってくる。随意契約内ですむように配慮しているのは、志保がこの手のことに慣れているからだ。
風見にしても正規ルートの出金ですむなら、その方が外の人間に変に勘繰られないですむのでありがたい。
正直、使い勝手が良すぎて困るほどだ。
もともと、公安は横の繋がりが希薄だが、黒の組織に関しては全国の公安所属の者達が動いた案件で、共闘したと言っても良い灰原哀こと宮野志保を見知っている者は多く、通常協力者は他者にわからないように名前でなく番号で呼ぶのだが、志保のことは暗黙の了解で公安では「ラボ」と呼ぶようになった。
公安の協力者ではなく、警察の協力者というスタンスでいてくれるので、直接コンタクトを取るのが降谷以外の者でも依頼しやすいというのも大きい。
その上で、警視庁側には情報が洩れず、仕事が早いし料金も良心的とあって、当てにする者が増えてきていた。
先月も神谷班が依頼した報告期日が今週末まで、全国模試のため来週いっぱい休みと降谷から聞かされた三國班の連中が蒼褪めていた。
「彼女に試験なんて、今更必要ないでしょう?」
切羽つまった部下の一人が降谷に訴えたが降谷は却下と断じる。
「今度の全国模試は授業料全額免除の特待生資格をとるためにも落とせないそうだ。それに、就職先はあっせんできるが、東都大学の入試は関与できないだろ」
出来たとしても、裏口入学など彼女が了承するとも思えない、来週末までラボを使うのは諦めろと降谷が冷ややかに言う。
ラボなら三日で分析終わると計算していたのにと、三國の部下が頭を抱えているのを見て、周囲も乾いた苦笑いを浮かべるしかない。
時間を頂戴と言っても、彼女の場合3日が一つの目安で、それを越えるようであれば進捗状況はこまめに報告してくれるし、早ければ翌朝には分析結果の報告書が届く。
なまじ、志保は新一の無茶ぶりに慣れらされていたから、「急ぎなのでしょう?」と、寝不足顔で翌日にでも検査結果を送ってくるのが当然のように思っている。
相手は高校生、頼りすぎは良くないと解っているのだが、確かにこのレスポンスの速さに慣れると他は使いにくい。
相手に余計な説明は必要がなく、こちらの立場を理解した上で、仕事として引き受けてくれるので、妙な気負いや罪悪感を感じなくてすむ。
むさくるしい男達で顔を突き合わせていた後だと余計に気持ちのリフレッシュ効果があると言うのは、彼等の照れ隠しのようなものだ。公安の仕事は他人に言えないことが多く、表だって評価されることもほとんどない。そんな公安の仕事に対して、理解して労ってくれる相手というのは貴重だ。
志保は特にこのあたりの距離感が上手い。踏み込んで欲しくないことは何も聞かず、疲れている時はそれとなく察してくれる。
今回、志保が人質になったと聞いて、公安の方からもバックで自薦により参加している面子も多い。
「宮野志保…あっ、『所轄科捜研の志保さん』」
オイと浅輪が隣にいた新藤を小突く。
「所轄科捜研?」
「いえ、格安科捜研はさすがに響きが悪いかなと思って」
「新藤、それ言わなくていいから!」
「すみません」
しまったという風な若い刑事に、浅輪が溜息をつく。
「うちの小宮山さんも名前が同じ字で志保っていうから、妙に親近感わいてて、つい名前で区別してるんですよ」
そう言いながら浅輪が頭をかいてみせる。
「うち、あちこちの応援に行くから、話は聞いてたんだよ。都内で3件、神奈川と千葉で1件ずつ、事故で処理されていた案件を事件性ありにひっくり返した分析書類提出した人間がいるって」
「青柳さんは、またかよ、ってよく言ってます。もう、最初から彼女に頼んだ方が早くないかって」
「ああ、真澄が…って監察医の早瀬川真澄先生が、田間川東署に出された血液と血中分析表を見て、うちに欲しいって騒いだのよね。それで、どこに依頼したのか問い合わせて、その分析料金があまりにも安くて、利益どころか人件費も出てないって驚いて。法医学の鷲先生が、専門の知識と技術を安売りするとは何事かって、怒って」
「こんな値段で仕事受けていたら、潰れるって心配されていたんですよ。早瀬川先生も志保って名前の人間は御人好しが過ぎて貧乏くじを引くって決まっているのかと怒っておいででしたし」
所轄は特に予算が厳しい。事故案件を丁寧に調査など出来ない。
それなのに、こんな値段で引き受けるとなれば、やはり事故だったと安心したい連中も依頼しかねない。
「宮野は自分は学生の身だから、って言ってましたけど。仕事と呼ぶにはおこがましいから実費だけ受け取るって」
「本職に劣らない知識と技術があるなら、安売りしない方が良いというのが本職たちの意見。でないと、相場が崩れるでしょ?彼女の価格は、利益はおろか時給すら満足に請求してないんだもの。実質ただ働きじゃ続けられないし、警察が彼女の善意に頼り切るのも問題でしょう?彼女が優秀なのはわかるだけに、無理を続けて潰れて欲しくないわ」
「あぁ…戻ったら言っておきます」
「よろしくね」
新一が知らない間に、志保は自分で警察内部に信頼と人脈を築いていると知って、複雑な気分になる。
だが、新一以上に複雑な気分になったのは、園子と蘭だ。
同世代で同じ高校に通っている宮野志保という女子生徒の特異性。
新一が行方不明の間に彼と知り合い、新一と親しいということばかりに目がいっていた。
蘭と宮野は違うと、新一が何度も繰り返した。事件現場に当然のように宮野さんを連れていくのに、どうして自分達は駄目なのかと不満だった。
同じ女子高校生で、何が違うのかと思っていた。
確かに、彼女はちょっと頭が良いかもしれない。でも、自分達だって犯人逮捕や事件解決に貢献してきたのに、という自負があった。
しかし、彼女と蘭達では求められている能力が違う。期待されているものが違う。積み上げてきた実績と信頼の質が違う。
そして、蘭達には宮野志保のような能力は、端から期待されていない。
沖矢は変わらず追跡眼鏡から聞こえるレストラン内部の音に集中している。安室と新一は目暮達と直人君の画像をチェックしていて、横から口を差し挟める雰囲気ではない。
すぐ近くにいるはずなのに、目の前に新一がいるのに、蘭は彼の立ち位置がひどく遠い気がした。
?
風見とその部下達が、会議室の一角にノートパソコンや機材をくみ上げていく。
「設置できました」
「ご苦労」
ノートパソコンの画面には、レストラン内部を映す防犯カメラの映像が映し出されている。ヘッドホンを耳に当てて作業している捜査員は、外部から指示を出しているという相手の通信に使われている周波数を探しているようだ。
犯人グループは壁際に寄っている。
日高は志保を羽交い絞めにしたまま、彼女の蟀谷に銃口を当てているのが見える。
鈴木史郎は壁に背を預ける恰好で座り、その彼に銃口を向け、カメラに背を向けている男が一人。もう一人は出入り口を頻りに気にしており、銃を持っているが、誰かに銃口を向けるということはしていない。
そして、新一達の前にあるスピーカーから流れてくる会話。
犯人グループの一人は小森という男。
鈴木財閥の系列会社に就職していたようだが、その会社の社長夫人が不正を行い、それを指摘したら嫌がらせをうけたと。
その後、自分の持ち物を隠されたり、傷つけられたりして、我慢ができなくなって会社をやめたが、自宅にも誰かが侵入して、不審者に車でつけられ、近所にも悪い噂をばらまかれ、転職先でもあることないこと中傷されて仕事を続けられない様に追い詰めたのが鈴木史郎だと怒鳴り散らしている。
「こいつ、正気か?自分をどんな大物だと思ってるんだ?」
ひょろりとした青柳と名乗った刑事が顔をしかめれば、「被害妄想も極まれりだな」と同じく顔を顰めたまま村瀬と名乗った方が答える。
系列とはいえ、本社勤務でもないような一従業員の進退に鈴木財閥のオーナーである鈴木史郎が関与しているなど、どれだけ誇大妄想が激しいのか。
「これは身元を探すのに骨がおれそうですね」
鈴木財閥系列の会社は数百、取引先や関連を含めれば万に近い。そこから辞めた社員を探すのは相当な手間だと高木が溜息をつくが、女性刑事の小宮山と最初に挨拶をした人当たりのよさそうな浅輪という刑事がちょっと待ってと聞き耳をたてる。
「嫌がらせを受けたことで、ユニオンにも相談したみたい」
「解雇予告手当と和解金を払ってもらうことで二度と蒸し返さないと署名したから、再就職を邪魔されても訴えることが出来なったと言っています。彼の様子だと、何度もユニオンに行ったでしょうから、担当者が覚えていてもおかしくはない」
「確かに、記憶に残る強烈さだな」
「法テラスや無料法律相談を利用している可能性もありますね。すぐに問い合わせてきます」
そう言って青柳と矢沢の二人の刑事が目暮の了承を得る前に席を離れるが、彼らが出て行ったのとほぼ同時に、若い新藤刑事が日高義人についての報告をもって現れた。
確かに、特捜班の面子はフットワークが軽いなと新一は思う。目暮の指示を待つどころか、自分達で手がかりを探して勝手に動く。
「日高義人、新宿西署の強行班に在職していましたが、5年前に奥さんの冴子さんと離婚。二人の間には当時8か月の息子さん直人君がいました。離婚時、直人君を日高義人が引き取ったため、祖母である日高加奈子さんが直人君の世話を助けているようですが、警察を続けられないと辞職。OBの紹介で今の警備会社に再就職、勤務態度はまじめでこれといった問題もなかったそうです」
「その年の子供だと、普通母親が引き取るんじゃないの?」
佐藤刑事の質問に、「その母親ですが、車に直人君をおいたままパチンコに行き、直人君が脱水症状で病院に運ばれたそうです。直人君を車においたままパチンコに行ったのはそれ一回ではなく、日常的だったようで、それで義人さんが直人君を引き取ったそうです」と答えた。
生後1歳に満たないを車の中に置きっぱなしにしてパチンコでは、家庭裁判所も母親の親権は認めないだろう。
だが、そうなると彼と鈴木氏、イギリス人であるブライアン・ウォーリックとの接点はますます不明だ。
「随分とちぐはぐな印象だな」
銃を所持して人質を取って立てこもった犯人側の動機や目的が見えてこない。
目暮警部が両腕を組んで唸る横で、佐藤達はスピーカーから漏れてくるレストランの内部の様子に、風見はインカムを通して届くだろう主犯からの指示を聞き漏らすまいと耳を傾けている。
「直人君の映像の分析、まだ終わらないんですか?場所の特定は?」
「工藤君、無茶を言うもんじゃない」
「だけど、宮野なら、何がしかのヒントは見つけている!」
苛立つ新一の物言いに、目暮だけでなく、その場にいた捜査員の面子が顔を顰めたが、赤井と降谷は溜息をついた。
「新一君、彼女と同じレベルを一般人に求めるのは酷だ。普通、専門の分析官が複数人でおこなう作業を、彼女は一人でこなす」
「いくら博士の作ったハイスペックなマシンがあるとはいえ、一般人が現場映像から爆破の発生点を特定し、残骸の写真から爆発物を再現し、推定して特定するなんて真似、普通はできない。君はもう少し彼女のありがたみを感じたほうが良い」
画像の合成だけでなく、大気圏に突入してくる『はくちょう』の軌道から一番被害が小さくなるように接触する爆破地点の割り出しなど、当たり前のように依頼していたが、JAXAの連中が聞いたら泣くだけでは済まないだろう。あれで彼女に軌道計算が出来なかったらどうする気だったのか。
「えっと、流石にオレも普通の一般人に無理なことはわかっていますよ?」
「でも、宮野だし」と続きそうな口調だ。
「だけど、この人達は専門家ですよね?それ用の機材と映像や音源等のサンプルも持ってるはずですよね?それで、どうして照合できないんです?手がかりの一つもつかめないんです?」
ずっと志保がサポートしてきた弊害で、新一の基準がおかしなことになっているのに気が付いた赤井と降谷は深い溜息を漏らし、その利便性に慣れ始めている風見や公安の面子はそっと視線を逸らした。
「とにかく、凡人に彼女と同じことを求めない。彼等もプロだ。時間をかければ可能だから」
「今はその時間が惜しいんですよね?」
撃てば響くように返ってくる志保のレスポンスの速さに慣れている新一にすれば、どうして本職である彼等ができないのかと思ってしまう。
普通は細かく分かれた専門の分析官達が調べるところを、志保はほぼ一人で行う。一人科捜研と新一が評したことがあるが、オールインワン状態で、専用の機材がなくても、一つのアプローチが駄目なら次のアプローチに切り替えることが出来るのが彼女の強みでもある。
黒の組織にいたころは科学と薬学が専門で、他は疎い面もあったはずだが、コナンである新一に付き合ううちに彼女のスキルもおかしなことになっている。
ただ、彼女を基準にするのは酷だと、普段部下に平気で無茶ぶりを要求している降谷でさえ思った。
新一が苛立ち、捜査一課を中心とした捜査員達の態度が強張っていくのに、探偵であるはずの安室がとりなすという何とも言えない雰囲気になった。
「戻りました」
「いや~、予想以上にいろいろやらかしていたわ」
外に出ていた特捜班の刑事である青柳と矢沢が戻ってきたが、二人を振り返った浅輪が静かにと唇の前で指を立てる。
まあ、今の微妙な空気を変えてくれるなら、大歓迎ではあるのだが。
悪い悪いと言いながら、少し位置をずらして座る青柳達の周囲に目暮達が集まった。
「法テラスの弁護士も、ユニオンの担当者も小森のことはよく覚えてたわ」
青柳がそう言って、白いボードに画像を映し出す。
「小森弘道、35歳。もともと、鈴木系列の佐久間エンジニアリングの資材調達部に去年中途で入社しました。真面目な性格で、仕事にも熱心だったようですが、どうもコミュニケーション能力に問題があったようで」
「業務改善を提案したのに必要ないと却下された。自分は少しでも会社のために良かれと取り組んでいたのに、余計な事をするなと言われた。夫人が会社の金を私的流用していると指摘してから、職場の人達の態度が変わり、客からの受発注をわざと知らせないとか、納期をずらして教えるとかの嫌がらせや、所持品を隠されたり壊されたりしたと、それで隠しカメラをロッカーに仕掛けてみたが、証拠は押さえられなかったけど、こんな不当な扱いが許されるのかと、法テラスやユニオンで訴えたらしい」
と、矢沢と青柳が交互に説明を繋げていく。
「一応、カッターで切られた本も証拠として見せたそうです。とにかく、会社としても何かにつけて不当だ、嫌がらせだと騒ぐ小森をやめさせようとして、ユニオンが間に入り、二度と蒸し返して金銭を請求しないことを条件に2か月分の給与を上乗せして自主退職で落ち着きました。ハローワークから職業訓練校に行きましたが、ここでもトラブルをおこしています」
「自分は資格をとるために真面目に通っているのに、失業保険の給付のために取りあえず受けに来ているようないい加減な連中からいじめられたんだと。担当の教師も見て見ぬふりで、どうしてあんな連中が許され、自分が不当な扱いを受けるのかと。そして、佐久間エンジニアリングの主任が携帯でコソコソと薬がどうとか言っているのを聞いた。それから不審な車に付けられるようになり、自宅にも誰かが侵入した痕跡がある。近所の人達にも悪い噂を流され、それを信じた人達が挨拶をしても返してくれないと」
「まあ、まったく何もなかったということも無いと思うのですが、近所で叫び声を聴いたとか、後を付けられているとか、部屋に誰かが入った痕跡があるとか、自分はまじめに生きているだけなのにバイト先でも悪い噂を流され、どんどん居場所を奪われているとか。彼の実家が、ご両親が夫婦で細々とやっている常連ばっかりの料理屋だったんですが、失業中にそこで手伝いをしている間も、自分の潔白というか、不当な扱いをその客達に訴えたらしい」
「飯食いに行った先で、そんな被害妄想野郎の話をきかされたんじゃ、客もたまったもんじゃねぇよなぁ」
「青柳さん、まあ、実際迷惑していたんでしょうね。結局、そのご両親のお店も2月に閉めたようです。ただ、ですね。そんな客の中で、小森の話を親身になって聞いてくれる人がいたようでして」
「スポーツクラブで知り合った、どっかの社長のニレザキさん。欠員があれば、うちで働いて欲しいところだけど、今は人が足りているから悪いねと。そんなの社交辞令にきまってるじゃん」
いちいち混ぜっかえさないと話せないのかと、突っ込みたくなる青柳の説明に、なぜか同じ特捜班の浅輪が「今は青柳さんの個人的な意見はいいですから」と流した。
「そのニレザキという人に、小森は大分傾倒というか、相談するために会っていたようで」
「小森弘道に必要なのは、精神科医とのカウンセリングだろうに」
目暮達は顔を顰めたまま、聞いていた。店を閉めたというが、それでその老いた両親はこれから生活できるのだろうか。息子の弘道がそんな騒ぎを起こしたのなら、近所づきあいもしにくくなったろうし、弘道はそんな両親のことを理解しているのか。
「心療内科は就職に不利になるから、嫌だとか。以前、心療内科で嫌な思いをしたからと、両親の勧めも断っています」
「引きずってでも連れていけって」
「で、その近所のスポーツクラブに行ってきまして、ニレザキさんという会員を調べてもらいました」
「小森がよく通っていたのが、火曜日と木曜日。その日によく来ていたニレザキという人物が、この人。仁礼埼拓馬、30歳の会社員」
「「「「あっ」」」」
ボードに映しだされた顔は、現在立てこもっている犯人の一人だ。
「その仁礼埼という男、三旺会のフロント企業でデイトレーダーをしている奴だ」
そう言いながら、今度は村瀬と小宮山が資料を手に戻ってきた。
「仁礼埼拓馬、元々証券会社に勤めていたが、賭博が原因で謝金をつくり退職。三旺会のフロント企業に名前だけ在籍して、実際は三旺会の資金でデイトレーダーをしていた」
そう言って、短期バイト登録時の仁礼埼拓馬の履歴書と運転免許証を映し出す。
「どこかで見た顔だと思ったんだ。以前振り込め詐欺に絡んだ事件を調べていた時、三旺会の連中が、うちはそんなチンケな犯罪には手を出さない。合法的に稼いでいると嘯いて、うちの稼ぎ頭だと自慢した男だ」
「ただ、最近、大きな損失を出したみたいで、逃げたようね。三旺会の霧島組の連中が必死で探しているそうだから」
その賭博で借金というのも、三旺会にはめられたのかもしれないが、仁礼埼拓馬は優秀なトレーダーだったらしい。
そして、これで仁礼埼と小森は繋がった。
「だったら、奴がこんな事件に参加したのは、三旺会の追っ手から身を守るために警察に捕まりたいから?」
ヤクザの金で投資に失敗して大損を出したとなれば、確かに命が危ういだろうが。
だが、そうなると日高の息子を誘拐して、インカムで指示を出しているのは一体誰なのか。